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説明が下手である。

説明が下手である。
昔から人に何かを伝えないといけない時はしんどくなる。頭の先まで興奮させられることがあって、それをその場に居なかった友達に説明しなきゃいけない時。仕事で休憩前に引き継ぎをする時。人間は自分の語彙力と想像力とコミュニケーション力をフルに使って「説明」という行為をする。俺はそれが生まれてこの方苦手だった。
だって説明はメンドクサイもの。
いつもなら空気感と表情で説明を乗り切っているが、どの人間にも通用するわけじゃない。
説明というの前提条件がある。
まず物事について自分が骨の髄まで理解してなきゃいけない。目の前の人の寝ぐせの数。花穴から飛び出ている鼻毛の数。それが重要かは別の話として、それを記憶しておかなきゃいけない。曖昧な記憶では伝えたい話のデティールが損なわれてしまう。それこそ作り立てのコンニャクのようにフニャフニャだろう。
それから相手のためにきちんと情報を咀嚼して伝えないといけない。説明される側は贅沢なことに相手に物語性を求める。保育園の運動会で一着だった子供がビリの子供と一緒にゴールまで歩いて親が泣くように、説明にも情緒というか感動というのが必要にされている。ラウンド負けしたけど、アポロを差し置いて抱きしめあうロッキーとエイドリアンのように、人間というのは贅沢なものである。
あーー面倒くさいったらありゃしない。もう対面のコミュニケーションなんかやめて全部LINEの文面で済ませればいいのに。
エヴァの終盤で「人類補完計画」という物騒な話が出てくる。これを要約すれば人間なんて面倒くさい生き物だから、全部グチャグチャのスープにしてしまおうという話である。詳しくはエヴァを見てくれ。何ならもうちょいで上映が終わる「シンエヴァ」を見に行ってくれ。上映が終わるまであと少しなんだ。多少脱線したけど、俺の理想的な人間関係は「人類補完計画」の中にあるのかもしれない。誰かを好きになり、誰かを嫌いになる。それが俺の今までの人間関係だけど皆も同じじゃないだろうか。そんなのにウンザリすることがたたある。というか疲れる。
 疲れたら人間は何をするか。
 ミスドを食べるのである。

https://www.misterdonut.jp/

甘い物は大正義である。(今なら「BAKE」とミスドが組んだシュークリームとドーナツを組み合わせたカロリーと幸福を天秤にかけたメニューが食べられるぞ!そこの君!こんな記事なんかすぐに閉じて近くのミスドへ走るんだ!)滅茶苦茶な指示を出すアイツ、公園のベンチでイチャイチャするカップル思い浮かべながら食べるポンデリングは甘く切ない。租借するたびに嫌なことはドーナツの生地と共に喉の奥へ消える。これが憑き物落としである。

嫌な物は見たくないのが人情である。しかし、それがやってくるのが日常だ。だから甘い物でも食いながらまた明日やってくる日常を乗り越えていくのだ。

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