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「岐阜、柳ヶ瀬のブルース」~【連載/逆光の乱反射 vol.35】

『逆光の乱反射』は映画『逆光』の配給活動が巻き起こす波紋をレポートする、ドキュメント連載企画です。広島在住のライター・小説家の清水浩司が不定期に書いていきます。
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7月23、24日の週末――と文字で書くとピンとこないが、すなわちそれは夏休みがはじまって最初の週末。まだ手つかずの休日が目の前に広がっていて、自由な解放感と夏のはじまりに胸がパンパンに満たされている――そんな時分、映画『逆光』に関係した人たちが岐阜に集結した。

 一体、なぜに岐阜なのか?

 それは須藤蓮、渡辺あや率いる『逆光』チームが岐阜市柳ヶ瀬商店街恒例の夏祭り「ぎふ柳ヶ瀬夏まつり」をプロデュースしたからである。

 これまで尾道・広島を皮切りに東京・京都・大阪・福岡など、日本各地で地元民=ロコな人たちと組んで映画の配給宣伝活動をしてきた彼らだが、ついに商店街とコラボして夏祭りを担うことになった。いよいよ大変なことになったな、というのは報告を聞いたときから感じていたことだった。

と同時に、それが岐阜、しかも柳ヶ瀬商店街というところが個人的に興味をそそった。そもそも岐阜という土地自体が「どうして名古屋じゃないの?」という感じだし、しかも柳ヶ瀬は昭和の盛り場、シャッターアーケードの典型。そうした時代遅れの逆境の地とタッグを組んで彼らがどんな大逆転を見せようとしているのか、惹かれるものがあったのだ。

 実際予告のSNSを見ても予定されたプログラムを見ても、彼らが岐阜の地で『逆光』活動の集大成をやろうとしている空気はヒシヒシと伝わってきた。ある種のフィナーレ、ある種の極めつけ、夏のはじまりに打ち上げられる過去最大の大花火……。

これは行くしかないだろう。

 そう思ったのは日本各地で配給活動に関わった人たちも同じだったようだ。

 現地では京都での配給を手伝った大学生たちが、早い人は7月上旬に入って祭りの準備に奔走しているという。広島から、福岡から、東京から……それぞれの場所で『逆光』に関わった人たちが集結する様子はまさに『逆光』公開グランドフィナーレといった趣だった。

 それが岐阜、柳ヶ瀬で起こったのである。

柳ヶ瀬で彼らがプランニングしたのは「ようこそ昭和シネマの世界へ」と題した“レトロ”と“映画”による町おこしだった。そもそも柳ヶ瀬は歓楽街ゆえかつては映画館や劇場が建ち並び、現在も日本唯一の35ミリフィルム専門映画館「ロイヤル劇場」(昭和名作映画のみを600円均一で公開する名画座。激シブ!)が存在する映画の街。ノスタルジーと今の昭和リバイバルが交錯するという意味では年配者も若者も共に楽しめる、まさに『逆光』ド真ん中のアイデアである。

まず岐阜に着いて向かったのは、そのロイヤル劇場。目当ては23日15時からの「1日限りの昭和歌謡ショー」だ。

 これは渡辺が企画構成し、音楽プロデュースを岩崎大整が手掛けた前代未聞の企画。渡辺が選曲と構成を担当し、地元から歌い手を集めてオーディション、さらにバンドメンバーも地元の人で固め、それを岩崎がまとめあげる。つまりステージ上は素人ばかりなわけで、日本映画界を代表する2人がこの地で手作り版の『のど自慢』を仕掛けようというわけだ。

 はたしてそれは面白いのか? どんな反応が起こるのか?

 ロイヤル劇場には200人近い観客が集まっていた。全身古着に身を包んだ若者から、杖を突いた老人まで客層は多彩。『のど自慢』と同じように、出演者の家族・友人も駆けつけたようだ。

 トップバッターはキュートな女子3人によるキャンディーズ「年下の男の子」。女の子たちが手を振ると客席はヤンヤヤンヤと拍手、いきなりの大喝采が巻き起こる。

 渡辺は誰もが知っているなつかしの歌謡曲を配置し、それに最適なキャスティングを行っていた。令和のチビっ子たちによるフィンガー5、地元商店街の顔役による「ドリフのズンドコ節」、李香蘭の「蘇州夜曲」は岐阜に暮らす外国人女性に歌わせ、「いつでも夢を」は実の母娘、「悲しくてやりきれない」は実の父子、「青い山脈」は実のおじいちゃんと孫のハーモニーだろうか。「恋の季節」は『逆光』でみーこ役を演じた木越明をピンキーに配し、バックのキラーズには須藤蓮を筆頭とした京都学生諸君。この組み合わせに「恋の季節」を当てるのが渡辺あやのセンスである。

 ラストは「時代」「サムライ」「また逢う日まで」と名曲を畳みかけたが、それらを歌うのが屈指の歌ウマたち。“岐阜の中島みゆき”“柳ヶ瀬のジュリー”“令和によみがえった尾崎紀世彦”に客席は心から陶酔しているように見えた。

 前回、島根に行ったとき、渡辺は過疎の町の誇りを取り戻す手段のひとつとして「地元にスターを作る」ということを言っていた。まさに歌謡ショーがその答えなのだろう。

 ステージの後、出演者たちのサイン会が用意されたが、そこには長蛇の列ができていた。地元でスポットライトを浴び、地元の人たちに愛される。地元の歌声に声援を送り、地元の演奏に癒される。カルチャーの地産地消のその先に、地方の復権はあるのだろうか? お金やサクセスに負けない「もっと大事なもの」は感じられるのだろうか?

普段は閑散としているアーケードにはさまざまな露店が並んでいた。地元ダンスチームがゲリラ的に出没し、路上でパフォーマンスを披露する。翌日はゆかたレンタルもあって、野外で『ローマの休日』の上映もあるという。

 さらに日曜はこの地を舞台にしたご当地ソングの走り「柳ヶ瀬ブルース」を歌った美川憲一歌謡ショーがあり、その後、須藤・渡辺と美川のトークもセッティングされている。“昭和”というくくりで美川憲一と『逆光』が結びつくとは、ありえないようでなくもないミラクルが時に現実では起きるものである。

 「1日だけの昭和歌謡ショー」を終え、ひと息ついた夕方、アーケード内の飲み屋に『逆光』関係者が集まった。須藤も渡辺も岩崎も姿を現し乾杯する。祭りは明日も残されているが、もっとも力を入れたショーは終了した。ピークを越えた彼らの間には一仕事終えた安堵感が漂っていた。

 各地から集まった『逆光』関係者は久々の再会を喜びつつも、これで『逆光』の活動がほぼ終わってしまうことを認めたくないようだった。映画によって火を点けられた自分自身のこれからをどうしていいか持て余しているようだった。

 京都の学生を中心をした若手チームは商店街の空き部屋でのザコ寝生活が続き、ストレスも疲れも溜まっていると言っていた。横の席には誰かの元カノ、ボランティアの女の子。揃いのTシャツ、日に灼けた腕をまくり上げ、この夜は恋の鞘当てで新たなドラマが生まれることだろう。

アーケード脇の喫煙所には、通りでやっている「GO! GO! アーケードパーティ」の音楽が流れてきた。GO! GO!といってもDJがかけるのは「マイ・シャローナ」に「セックス・マシーン」。ぼんやり煙草を吸いながら聴いていると、ここがどこで今が何年だかわからなくなる。

 ひとつの終わりのはずなのに、どうもまだ終わらないような気配が濃厚に立ち込めている。

 触発された関係者、騒ぎ足りない若者、最終的には1万人近くが来場したという柳ヶ瀬の街――これがただの夏の思い出で終わるのであればそれまでだが、どうもこれは種が植えられただけであってこれからそれがどう育つのか。

 夜が更けても暑い夏の夜、DJのかける音楽と上ずったような歓声がアーケードに響き渡っている。

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