非処女コンプ|自己紹介

 僕と同じコンプレックスを持つ人たち・真逆のコンプレックスを持つ人たちの存在を、承知の上で書く。

 僕の生きる世界とは、僕の心の中だ。この懐疑論めいた考えを、ずうっとうっすら持っている。モノがあること、他人がいること、そして自分がいることさえも、心のどこかで疑いながら生きてきた。「愚話~は素直で騙されやすい」と言われ育ったが、実際は、何一つ信じることをしていなかった。だからこそ逆に、全てを平等に信じた行動をとっているように見えたのだろう。ひょっとしたら、「素直さを伸ばしてほしい」などの母の思惑があったのかもしれないが、そういう疑いを追及する気にはならなかった。


偶像

 僕が(根拠なしに)妄信していたものは、今までに二つある。一つ目は、自分の話などひとつも載っていない、小学校の道徳の教科書。二つ目は、「彼」の背後に強く思い描いていた、偶像だ。
 僕自身それを自覚していて、彼――仮に名前をMとしよう――に積極的に近づこうとはしなかった。
 今考えれば、悪い意味で中学生らしい行動だと思うが、数名の友人には、僕がMを半ば崇拝していることを公言していた。そのせいで、後に、同じように同級生Kを「推し」と呼ぶ友人Hの、デート計画に巻き込まれることになったのだ。
 彼女は明らかに彼に恋していた。その一方で僕は、Mを好きになれればどれだけ楽なことか、と思い悩んだ。この違いは些細なものに見えたが、ここから僕の後悔が始まることになる。(現在もKとHは良い友人だ。)

方法的告白

 寒空の下、Kを除く三人が集合、Kは音信不通。Mは心底面倒くさそうに、「Kがいないなら行かない」と言った。前述した実質的なダブルデートは、幸運なことに、当日、白紙になった。

 それから四ヶ月程だったろうか。細々とメッセージのやり取りをしていたMから、文面で告白されたのは。コロナ禍真っただ中、二〇二〇年の四月。その日は、夕食が喉を通らなかった。味がしないことって本当にあるんだ、と少し興奮した。
 僕は今までの度重なる思わせぶりな行動を反省した。お出かけの件もそうだし、視線だったり、ちょっとしたからかいだったり、悟られてもおかしくない行動ばかりだった。決して普通ではない、許されない感情であるのに。

 僕は結局、こんな嘘の感情は良くない、と、持ち前のクソ真面目さで、返事を保留する。そしてあろうことか、持ち前の優柔不断さで、四か月もMを放置してしまったのだった。

 その間、僕はみるみる拗らせていった。こんな気持ちで上手くいくはずがないのも分かっていたし、(これは当時の僕には些細なことだったが)友人からの評判も悪かったから、断ろう断ろうと思った。けれども、思わせぶりだった自覚があり責任を感じたのと、それが望みなら叶えたいと思ったのと、それから、何より、誰かに嫌われるということが耐えられなくて、「好きじゃなくてもOKするなんて普通のこと、チャンスは一回ではない」と思うことにした。

 「ごめん、前言ってたこと、覚えてる?」みたいな文面を送ったかもしれない。「好き」「よかったらで良いんだけど、付き合ってほしい」と。「好き」と言うときに、何か胸に痞えたけど、蝉の声に掻き消されてしまった。Mは、「恥ずかしいから皆には内緒で付き合おう」といった旨のことを言った。
 放置した申し訳なさから、へたにしたてに出て、「もう好きじゃなかったら別に良いんだ」なんて言っていたら、結局のところ交際の話はあやふやになってしまった。

一回だけ

 既に申し上げた通り、その頃はコロナ禍、休校真っただ中の時期だった。つまり、僕たちは、今年度未だ顔を合わせていない。

 「駅で会おう」と連絡がきて、僕は飛んで家を出た。短いピンクのシャツとジーパンを着て走った。ベリーショートの髪は涼しかった。
 過去最速で駅に到達すると、白いTシャツと白いズボンのMが来た。今となっては変な服装だとしか感じないが、恥ずかしながらそのときは、真っ白の天使かと思った。
 暑かったから僕たちは、とりあえず小さな駅の中を探索した。ちょっとしたバルコニーのような場所にエレベーターで向かう。あまり入ることのない領域であること、エレベーターを親なしで利用した経験の乏しさなどから、胸がどきどきするのを感じた。吊り橋効果とやらに近いのだろうか、とぼんやり考えた。
 その後も散歩を続けていると、見知った顔を見つける。僕はMに抱き寄せられて物陰に隠れた。その見知った顔は、僕が最後に本当に好きになった人だった。その人もMも、そんなことは知らない。僕は今まで経験した中で一番強く抱きしめられた。「少女漫画だったら、男なんだなと思う場面だろうな」とか「締め付けが足りない」とか、僕は単純だったから、「本当に僕のこと好きなんだな」とか思った。僕は変な感情を知ってしまった。

 「親いないから、うち来る?」Mが言う。僕のような鈍感でもすぐに思った。親がいないのに勝手に上がって良いのか?と。このまま解散は寂しかったため、多少の葛藤ののち、行くと答え、自転車を押す彼についていく。先に行く、と彼が自転車で行ってしまっても、僕はおとなしく歩いて彼の家に向かった。

 彼はアパートに住んでいて、狭い玄関と細い階段を抜けると、彼の生活空間が現れる。その中の一室が、彼の部屋だった。

「この子だけが僕の友達」
 彼はそう言って某テーマパークのぬいぐるみにやわらかいキスをした。彼の記憶は朧気だが、それは確かに覚えている。妙に心に刺さってしまって、それから一年くらいは、インターネットで、ぬいぐるみにキスをする少年のイラストを探し回っていた。
 それはともかく。ここに僕を呼んでおいて、僕を疎外するのか、という、……ぬいぐるみに対する嫉妬のような感情はあったのだけれど、「でも僕は正式に彼女ではないし」と黙っていた。悲しいかな、都合のいい女の素質がありすぎたのだ。

 Mは、セックスをしたがった。そりゃあそうだろう、家に呼んでいるんだから。
「一回だけ」
「だめ」
 僕は言った。
「お願い」
「・・・だめです」
 そんなやり取りを何回繰り返しただろうか。
「一回だぁけ、だめ?」
 僕はその彼の上目遣いに負けてしまったのだ。
「ご、ゴムとかつけてなら、いいよ……」

 僕は好奇心とMのあざとさに負けて処女を失った。こんなの馬鹿すぎて笑い話にもならない。
 彼は避妊具を持っていなかった。僕が買いに行くとまで言ったのだが、結局そのまま押し倒されてしまった。可愛いと思っていたMの顔や仕草が、ゆらっとオスの性欲に染まったその一瞬が恐ろしかった。僕の強い妄想癖も、怖くてたまらないと思った。

 男は、自己中心的な行為を済ませてしまい、さっさと僕を帰らせた。

 大して気持ちよくもなければ、重大な心配と、汚れたという意識を植え付けられて終わった。帰ってすぐに、切れて擦れて痛むそこを必死に洗い流した。後の祭りだと知ってはいたが、それでもだ。

 身体については事なきを得たが、彼が学校で別に彼女を作っていることが発覚し、さらには塾に別の想い人がいることも判明した。卒業式の前日にその彼女に密告して、三人のグループチャットで詰めた。黙っていることは悪いことだと思ったから。首尾一貫して頭が悪かった。

 二、三の曲を書き、感傷馬鹿女ごっこをして、僕のあまりにも下手な立ち回りを忘れ去ろうとした。

本性

 それから僕は高校一年生になった。入学式で新入生代表の挨拶なんかをして、新生活は上々の幕開けだった。ただ、進学してから生理が三か月分来なかったり、人混みで文句を言われる聞き間違いが、秋の終わりくらいまで断続的に続いたりした。

 僕は耐えかねてツイッターのアカウントを作った。フォロワーがいなくても、インターネットという開かれた場所に吐き出すことで、かなりすっきりするという体験を得た。僕はツイッターにのめりこんでゆき、いわゆるツイ廃を名乗るまでの時間はそう長くなかった。

 最初は、性別さえ曖昧に、Mや家族の愚痴を数日おきにつぶやいていたものの、そのうち、病み垢界隈に足を踏み入れてしまい、僕の気分は悪化した。

 そしておよそ一年経ったころ、「ネットの人に会うと殺される」と思っていたにも関わらず、話の通じないFFとホテルに行った(身辺整理むなしく何事もなかったが)。彼はネットで知り合った彼女との二股で、またもや僕がその彼女に知らせて、ただでさえ悪い恋人関係は急激に悪化、彼はやがて割腹自殺をした。
 それから、高校三年の頃に遊んでいた十歳上の男は、やはり彼女を作ったし、僕がさよならを告げたら、線路に飛び込み、自殺した。

 そういえばあのときMは唐突に、「自殺だけは絶対にするな」とか言ってきたっけ。

 ネットで危険な行為に走ることは、僕の「まだ引き返せるのでは」という希望と、「あんなことになったのは僕が痴女だったからでは」という疑いを、一挙に解消するための短絡的な方法であった。(断れなかっただけ)

空虚なコンプレックス

 現在は私文大学生といういかにも軟派そうな肩書で、経験を隠して過ごしている。僕はこんなに純潔の喪失を引きずっているけれど、きっと周りは非処女だらけだ。
 哲学科、数回目の講義で、懐疑論は「馬鹿げている」と否定された。そんなものだったのだろう。


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