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【フィードフォワード体験談⑥】

振り返れば、未来

愛犬のフィードを亡くしてから、毎日が抜け殻のような日々。

ペットとは言え、私にとっては家族も同然。悲しくて、何も手がつけられませんでした。

そんなある日、近くのお寺の和尚さんに、このやるせない気持ちを相談してみました。

私の急な問い掛けに、その和尚さんは黙って耳を傾けてくれました。

「フィードは今、どこで何をしているのでしょう」

愛犬がいなくなってしまった現実を、未だに受け止められない自分がいることを素直に吐露しました。

『フィードはきっとあの世で元気にしていますよ』

最初は、和尚さんの言葉も単なる慰めにしか聞こえませんでした。

「今でも、好んで口にしていたドッグフードを、つい買い込んでしまう自分がいるんですよ。」

何気なく言葉を繋いだ私の一言に、和尚さんが反応しました。

『もうこの世からいなくなってしまった愛犬に、なぜ未だにドッグフートをあげちゃうんですかね?よくよく考えたら不思議じゃないですか?』

「え!? お供物ってそういうものじゃないのですか???」

私は思わず言い返してしまいましたが、次に和尚さんの口から出た言葉にハッとさせられました。

『もう、口にすることはないドッグフードを、生前と同じようにお供えしてしまう。それは、今でもあなたの心の中にフィードが存在してる証拠なのでは?』

私の思い出の中に活きるフィード、その愛犬のために私は未だにドッグフードを買い求めてしまう・・・。

そうせざるを得ない現実が、今でもフィードが私の思い出の中に生きている実感を得ました。

『きっと、あなたの心の中にフィードの居場所があるのですよ。ですから、未だにドッグフードをお供えせざるを得ないのです』

今でも愛犬フィードのことを思い浮かべると涙が出ます。但し、その涙でさえ、フィードと一緒にいる時間の証だというのです。

いわゆる「あの世」とは、遠い宇宙の彼方の異次元の世界の指して言うのではありません。

今は亡き、大切な存在であった愛犬の思い出が宿る世界観を指していう言葉なのです。

その思い出の中に生き続ける愛犬と、新たにどのような関係を築いていけるかが問われます。

それを指して、昔の方は“浮かばれる”という言葉で表現をしました。

さあ、あなたは今は亡き愛犬フィードと、どのよう関係(未来)を築いていきたいですか?

振り返れば、実はそこに愛犬フィードと共に築く「未来」があります。

その積み重ねの行為一つひとつが、今は亡きフィードが浮かばれている時間なのだと信じて止みません。

未来を意識し未来に働きかけることで、無理なく自然に前向きになり、どんどん幸せになっていく。

シンプルだけど、とてもパワフルな結果を生むフィードフォワード。

今度、体験会を予定しています♪

ご興味のある方は是非!
お気軽に遊びにきてくださいね♡

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