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9.好きなものも思い込みかもしれない


あなたは本当に無能なのか?

あなたが無能ではないことを認めることは、この世の全てが才能に溢れ、無能である事を認めることでもある。


そりゃそうだろう。
全てにおいて無能なことも、全てにおいて有能なこともないのだ。

100%だったら、それがいわゆる「全能の神」ってやつだ。


人間はその「全能の存在」をもとめ焦がれたわけだけど、それは幻なのだ。

悟りを開くとか、解脱するとか、アセンションだとかいうけど。

幻なのです。
幻想よ。


人間は、不完全だ。
全てのものが不完全だ。
不完全という完全なのだ。

完全にしてしまうと、調和できなくなる。

不完全の誤差があるからうまく回るようになっているのだ。

でも、それが完全なのだ。


指導・教育する人たちは「完全」という幻想を抱いてやっている。


そもそも、指導・教育など、できないのにね。


「太り過ぎないように食べすぎ注意しなくては」とわかっているのにできないでムクムクと太っている医療関係者なんて山ほどいる。


そして、その人たちが保健センターなんかで、私に指導してくるのだ。

「血圧が高いから、、」と。

医療は完璧だとおもいこんでいる。
数値は完璧だとおもいこんでいる。

自分ができないことであっても他人に求める。

高血圧で塩分を控える指導をしたとして
その指導どおりにやったとして
それが間違えていたらどうなんだろう?


自分の指導の責任はだれも取らない。


自分で取るしかない。


そうはいっても、言うことなど聞かないのが人間だ。


私だって、子供の時はアトピーで。
でも、自覚がなかったから治そうとかも思わずいた。


親はなんとか治そうとして色々やってたけど。
クロレラを1日30粒飲むとか。
ニンニク風呂に入れとか。

でも、本人が治す気がないわけで。
マーガリンやスナックやマクドのポテトやらチョコやを隠れて食べる。


いくら指導・教育しようとしても、そっちにむかない。


でも、自分で治そうと思うと勝手に動くのだ。

年頃になって、化粧したくてもファンデーションが浮いてカパカパするのが嫌だ、となるとね。

本気になる。
で、勝手に学んで治そうとしはじめる。


本気になるとすごい能力を発揮するもんだ。


今、やりたいことがないとしたら、湧いてくるまでやらないか、目の前にあることを最小レベルにやってみるかがいい。



「好き」とか「やりたい」の感覚が鈍ってしまってるかもしれないから、「コレ」と決め切らずに少しずつやるのがいい。 


三日坊主でもいい。


やってると、「好きだと思っていたことが、植え付けだった」ことに気づいたり「本当はこれが好きだった」と気づいたりする。


私は子供の時に絵を習いに行きたかったので今やり直している。
それでも最初は描きたいものがなかった。
だから、練習のデッサンだけを3年やった。

描きたいものがでるまでは、ずっと練習とおもってやっていた。
描きたいものがようやく湧き出してきた時にそれをかいてみると、とてもハッピーでモリモリ描けた。



好きじゃないものを描いてもハッピーじゃないんだよ。


絵が描くのが好きだとしても、なんでもいいわけじゃないのだ。


だから、少しずつ、やって、「好きなこと」「やりたいこと」を見つけてゆくといい。


つづく

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