14.自分と他人は「同じ」ではない
あなたは本当に無能なのか?
才能・能力はその人その人で全然違うところに伸びていたりする。
ある人はこれがあり
ある人は全く違うものがある。
子供の時に評価されやすい才能・能力
学生の時に評価されやすい才能・能力
お嫁さんとして評価されやすい才能・能力
旦那さんとして評価されやすい才能・能力
親として評価されやすい才能・能力
子として評価されやすい才能・能力
雇用されていて評価されやすい才能・能力
自治会で評価されやすい才能・能力
部下として評価されやすい才能・能力
上司として評価されやすい才能・能力
書いていて気持ち悪くなるが。
また、その中での環境が違えば、評価されやすい才能・能力も違うということになる。
冷静にこれを見てどう感じるだろうか?
その場その場で評価されやすい才能・能力っていうのがあるということに気づくだろうか?
私たちは、その違う環境ごとに
「評価」にさらされたわけだ。
「評価」にのまれて自分を失う「私」のような人も多いだろう。
しかし、
中にはそういう「評価」をうまくすり抜ける人もいる。
そういう人を観察していると、その「評価」の世界に一度絶望して、手放し、距離を置いて俯瞰しているように見える。
この世界にいるけど、違うところに立っているという感じだ。
この「絶望する」というのはとても大切なことだと思っている。
例えば、親のことはどこか自分と一体なように見てしまいがちだ。
実際は血は繋がっていても別の個体なのだから「他人」なのだが。
なのに自分と「同じ」を求めてしまいやすい。
この「評価」というのはつまり「同じ」を求めることだと思っている。
一度しっかり「絶望する」をやると、
「同じ」と思わなくなる。
「他人」なのだから、同じではない。
「同じではない人」から何を「評価」されようとも、自分には関係のないことなのである。
自分の才能・能力は自分のものである。
他人と同じではない。
だから、人と比べることもなく、自分の才能・能力を磨いて楽しんでゆけばいいと思っている。
そんな人だらけの国だと、死にたくなる人も減ると思う。