#エッセイ02 餃子と琵琶、ときどきお粥。
私の夕飯を作ってくれていた店があった。
店主は仙人のような風貌で、中華料理を得意とし、作務衣を着て長いひげを蓄え下駄をはき、琵琶を奏でた。
一人暮らしを始めた20代。
要領が人一倍悪い私は、料理を作るのに人の2倍はかかる。
やっとの思いで食べ物を作り終わり、ヘロヘロの状態で食べ、洗うのも人の2倍の時間がかかる。つらい。
洗い終わったらどういう洗い方をしているのか、自分も台所も、何かの水浴びの後のように、びっちょびちょだった。掃除という行為も増える。つらい。
仕事も半人前だが、夜に社会人大学院へ通っていた私は、ちゃんとした晩御飯は学校が終わってからだった。夜10時くらいに帰路につき、そこから晩御飯を食べるサイクルだった。
大学院開始の1週目までは自炊していたが、全てがヒトの2倍かかるのだから、いくら時間があっても足りないことは明白だった。
お腹が減った。もうダメだ。今日は餃子が食べたい気分なのに、近所の餃子の王将は21時閉店だという。本当に商売する気があるのか。
色々考えながら、最寄り駅につき、ぐうぐうなるお腹に手を当てて改札を出た。作る元気もない。だけど、無駄にこだわりはある。餃子が食べたい。
そんなことを思いながら、駅から家まで歩いていた。そうしたら、願えば叶う、煌々と明かりがついている1軒の居酒屋を見つけた。店先に自慢の品だろうか。「手のし餃子」と書いてある。
これだ!これだ!と手を叩いた。
いや、待てよ。ここは、常連客が多い店で、「いっぱいですー。」なんてカップルが断られているのを見たことがある。一見さんお断りかも知れぬ。
しかし、断られる恐怖よりも空腹の方が勝った。
料理屋さんだもの、お腹が減っている人を見殺しにしないはず。
「すみません、今日はまだ、やっていますか?」
引き戸をガラガラ開けて、暖簾をくぐり冒頭の仙人店主に声をかけた。
「大丈夫ですよ。好きな所へどうぞ。」
店を閉めるところだったのか、客は私しかいなかった。
6~8人しか入れない、こじんまりしたお店だった。だけど、店内にはレコードや珍しそうな日本酒、焼酎やら所狭しと並んでいた。良く説明できないが、店内が濃い。なるほど、さすがの仙人店主の店である。このお店には癖がある。
初見で、私がお腹が空いて、やつれて見えたのか、断られなかったが、「一見さんお断りかも。」という話は確かにありえそうだった。
餃子を注文し、中華街で修行していたという店主のそれはそれは美味しい中華粥もいただいた。食べながら、あまりの美味しさに、「通いたい、、、。」と思った。通うにはこの濃い店の仲間に入れてもらう必要がありそうだった。
わたしは店内をくまなく見渡し、自分の小話の手札を見た。
この話なら、、、。いけるかもしれん。
「私、インドで瞑想修行したことがありましてね、、、。」
「!!!!」
「インドで修行!!!それはそれは詳しくお聞かせ願いたい。」
店主が、秘仏が好きで奈良に通い詰めていると知ったのはこの後、私がお店に通い続けることになってからだった。推測だが、インド修行の話で受け入れてもらったと思う。
やはりここは、常連客が多いお店で、紹介の紹介で来ることが多くお客さんみんなが繋がりのある仲良い店だった。(私はレアなドロップイン。数少ない通りかかりの客である。)
みんなのことを全く知らぬが、インド話一本で仲間に入れていただいている。大好きなお店の大好きなみんな。有難いことである。
自分で言うのもなんだけど、恐ろしいくらいの馴染様。
いま実は、お店は、大好きな店主の体調が思わしくなく、休業中である。琵琶奏者でもある店主だが、靖国神社への奏上が、人前で演奏できる最後の演奏になるかも。とのことで、先日も私は演奏を聴きに靖国神社へ走っていった。
どうか、元気に回復を。
私は夕ご飯に、また餃子とお粥がどうしても食べたいのです。
絶対元気になってね!
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