オキナワンロックドリフターvol.20

長い黒髪とロイス・マクスウェルのようなそばかすが印象的なマネーペニー女史の誘いで、沖縄旅行2日目は飲みに行くことに。

てっきり、お洒落なバーでさし飲みなのかと思いきや、マネーペニー女史はこうおっしゃった。

「ミキさん、模合ってわかる?」

模合。沖縄旅行サイトや沖縄移住本で予習済みだ。沖縄ならではの頼母子講なのだが、そんな席に私が参加してもいいのだろうか?

私の心配を余所に、マネーペニー女史はカーステレオの音量を上げ、ジョージ紫プロジェクトを流しながら沖縄市~北中城村のお気に入りの店を教えてくださった。

カーステレオのジョージ紫プロジェクトが最後の曲に入るのと同じくらいに、マネーペニー女史の車は模合の場所である民謡居酒屋にたどり着いた。

「ここは私のお勧めの場所。あなたの好きなモスコミュールもあるからお酒とご飯を楽しんで」と案内され、店内へ。

小さな公民館くらいの広さのこの店は、目鼻立ちがはっきりとしたママさんが切り盛りする居酒屋だった。

店内にちょうどいい音量で沖縄民謡が流れている。私も模合のお金を払うのかな?とおずおずしていたら、マネーペニー女史に大笑いされた。

「気にしないで。あなたはゲストだから自分の飲み代だけ払えばいいから。でも……」

マネーペニー女史は間を置くと私に釘を刺した。

「余計なことは言わない。極力ニコニコと相槌打っていてね」と。

初来沖での私の失態を彼女は知っている。ひとまず、オキナワンロック好きの先輩の言うことを聞こうと、私は小声で「はい」と返した。

来店したから一時間後、マネーペニー女史の模合仲間数名が現れた。沖縄移住者の女性三名と、顔は見たことがある沖縄ローカル局のアナウンサーの方、とある民謡歌手のマネージャーさんだった。

「あらー。こないのかー。じゃあ。次回は今回の分もお願いねー」とマネーペニー女史は携帯で不参加の着信をした女性と話し込んでいる。

不参加の女性は、名前をよく聞く沖縄のお笑い芸人さんの奥様だそうで、マネーペニー女史はミキさんと会わせたかったのにと少し残念がった。

しかし、軽く咳払いをするとマネーペニー女史は「こちらが、オリジナル紫の大ファンのコサイミキさん。今日は彼女に沖縄を知ってもらいたくてこの模合にお誘いしました」と、参加者に私を紹介した。

おずおずと挨拶をすると、移住者の女性から拍手をされた。

そして、マネーペニー女史以外は代行を頼むということでビールやカクテルがどんどん運ばれた。私もモスコミュールを注文。こうして、模合という名の女子会を私は経験することになった。

マネーペニー女史から余計なことは言うなと言われていたので、ニコニコと相槌を打ったものの、テレビ、出版、音楽業界に携わる女性たちの女子会はくらくらするくらい濃厚で、私はひきつり笑いながらも彼女たちの話に耳をしっかり傾けて記憶していた。

借りてきた猫のような私に、移住者をメインとしたねーねーたちは食べるの好きそうな顔してるからとあれこれ頼んでは勧めてくださった。

マネーペニー女史のおっしゃったとおり、料理は美味しかった。島らっきょうの天ぷらはかりっと揚がり、沖縄そばを使った塩味の焼きそばは肉や野菜がふんだんに使われていてボリュームがあり、野菜が主体の煮付けも大根や焼き豆腐にちょうどよく味がしみていて私はそれらを勧められるがままに食べた。

だんだんお酒を飲まれた方々の酔いがまわり、安里屋ユンタや芭蕉布が流れるとそのうち合唱しだした。

そうこうしているうちに時間は過ぎ、閉店時間となり、模合はお開きに。

この居酒屋はマネーペニー女史の憩いの場のようで、彼女はリラックスした表情でママさんとゆんたくをされていた。マネーペニー女史曰く、ママさんはジョージさんの大ファンでライブハウスキャノンに入り浸っていたそうだ。ママさんはその時のエピソードを話そうとするマネーペニー女史の口を塞ぎ、二人は静まり返った店内で、修学旅行の女子高生のようにはしゃいでいた。

「ミキさん、これからどうするの?コザで遊ぶの?それともココナッツムーンで呑み直すの?コザまでなら送ってあげる」とマネーペニー女史がおっしゃったので申し出に甘えることにした。

中城村近くからゲート通りまで、マネーペニー女史と真夜中のドライブだ。カーステレオはジョージ紫プロジェクトからゾディアックへ。

マネーペニー女史はぽつんと呟かれた。

「だいぶ笑うようになったね。数時間前の貴女は暗い顔をしていたから少し心配だった」と。

私はよほど感情が顔に出ていたんだなと頬に手を当てながら思った。

だんだん車はゲート通りに近づいてきた。私はポチ袋に飲み代を入れてマネーペニー女史に手渡した。

「はい、ありがとう。あのね。ミキさん」

「はい」

マネーペニー女史はため息をつくと、続けられた。

「あなたが城間兄弟を好きなのはわかる。私もオリジナル紫は好きだったから、けれど、あまりあの二人に干渉しないほうがいいよ」と。

むっとして私は黙った。

気まずい沈黙が車内を包んだ。マネーペニー女史は「まあ、私の意見だけどね!」と畳み掛けるようにおっしゃい、私を下ろすと車を走らせた。

私を心配してのことだけれど、気持ちに水を差された気分になり、彼女の車が遠ざかると、私は「なんだよー」と小さく独りごちた。

気分を変えて、コザでの夜遊びを満喫だ。しかし、月末のコザは去年の9月に比べて人通りがやや少なく、寂しい気分になった。

まずはセブンスヘブンコザでのライブを楽しんでから、JETに閉店間際まで入り浸ろう。そう計画を立てたら足取りが軽くなった。

330号線沿いを歩くと、シアトルズカフェは週末だというのに既に早じまいしていた。

向かい側の道沿いの居酒屋のネオンサインも店じまいを始めたのかだんだん消えていく。

「さびしいなあ」とぽつんと呟き、セブンスに入る。

ライブは既に始まっていて、私はライブチャージを払い、今度はハワイのかき氷みたいな髪の色になったジェイソンを見て呆れながらもラムコークをオーダー。

早速、レイさん率いる8-ballによる爆音の洗礼を受ける。今回のライブはレイさんの喉の調子が良いのか、以前聴いた時よりも張りがあった。レオンさんのドラムもキレがある。クリスさんのベースは相変わらず音数が多かったが、疾走するような演奏をしっかり支えている。圭一さんのギターは、間奏毎にテクニカルなプレイを披露し、その度に荒くれ米兵の野太い歓声が上がった。

ライブが終わると、私はレイさんとレオンさんに挨拶をすると、またゲート通りに戻った。

お目当てはJETである。と、その前に小腹がすいたのでふらふらと怪しい看板が光る19thホールタコスに立ち寄ることにした。

喧嘩別れした沖縄旅行サイトの管理人さんが来コザする度に行くとサイトでステマさながらに書いていたこのタコス屋は、古くこじんまりしたビルの中にあり、パッと見はタコス屋というよりいかがわしいもぐりの娼館のようだった。

薄暗い店内も艶かしい赤いライトが照らすアングラさ漂う造りで、ついつい、ポリスの『ロクサーヌ』を思い出してしまい、無意識に口ずさんだ。

店のママさんにタコスとマッシュルームスープをオーダーして窓の外からゲート通りを眺めた。赤いライトのフィルターがかかっているせいか、窓から見えるゲート通りは、沖縄というよりはタイかマカオの歓楽街のように見えた。

やがて、擦りガラスで仕切られたキッチンの小窓からにゅっと手が伸びて、タコスとスープが出てきた。私はママさんからタコスとスープを受けとると、タコスに思い切りかぶりついた。

ほんのり柔らかめのタコシェルは、外側はパリパリ、内側はふわっとした食感で、タコミートは程よい味付けで野菜と調和していた。

スープはキャンベルのマッシュルームスープを少しだけアレンジしたものだったが、クリーミーかつ後味がさっぱりしていて、その秘訣は16年経った今もわからないままだ。

ジュークボックスがあり、JETに行く前のウォーミングアップとばかりに、100円を入れて第3期Deep purpleの“Lady Double Dealer”と “Storm Bringer” をリクエスト。

デヴィッド・カヴァーデイルの力強い歌声を聴きながら、私はタコスを齧った。

腹が満たされると疲れが飛んだ。私はJETへ足を進めた。途中、三線を出鱈目に弾いたホームレスのおじいに小銭をせびられたが、JETに会いたい私は無視して足を進めた。背後からおじいに罵声を浴びせられ、少しだけ怯んだものの、無敵の3ピースバンドに会うのが最優先だ。

JETの黄色い、色褪せた看板が見えると心が弾んだ。

音楽は聴こえてこない。もしかしたら休憩時間かもしれない。

私は深呼吸すると、黒く重い扉を開いた。

薄暗い階段を上ると、ターキーさんが森の長老のような佇まいで地元客と談笑していた。コーチャンはこの日何杯目なのだろうかビールを楽しみ、ジミーさんは熱い視線を送るアメリカ女性のアプローチをかわしながら、常連客と話をされていた。

ターキーさんと目が合うと、私は手を振った。

ターキーさんが手を振り返してくださったので、私は胸が弾んだ。

(オキナワンロックドリフターvol.21へ続く)

文責・コサイミキ

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