オキナワンロックドリフターvol.69

さて、またも話は前後するが2006年はオキナワンロック界隈が変化に揺れた年だった。
5月に、仕事帰りにメールチェックをしたら、ムオリさんからメールがきた。
元りんけんバンドのよしぼーさんこと我喜屋良光さんの縊死を伝えるものだった。ユンチチというユニットを組んだり、『恋のドドンパ娘』のうちなーぐち版『恋のどぅるるんぱ』をリリースした矢先の自殺という悲しい最後と、呑み友達だったというひがの親分ことひがよしひろさんの悲歎をムオリさんから知った時には暫く携帯を握りしめながら天を仰いだ。最初で最後になったものの、7th Heaven KozaのオキナワンハードロックナイトのMCでよしぼーさんが見られたのは奇跡だったなとすら思った。
次に、マリーさんが15年ぶりにピースフルラブロックフェスティバルに出演し、沖縄ロック好きな人々やコザリピーターの間で大きな話題を呼んだ。テルさんがピースフルを観に行くということで、テルさんにライブレポをお願いした。
私は仕事が終わるとパソコンで出演者情報を見た。……明らかに、モンゴル800、D-51、High&Mighty Color、ORANGE RANGEと華やかな1日目と比べ、玄人受けと言えば聞こえがいいが、2日目の内輪受け漂うラインナップに「あちゃー」と無意識に呟いてしまった。
さらに、紫は、New 紫名義ではなく、紫Special project名義でのライブ出場なのも引っかかった。今思うとNew紫から、JJとクリスさんを加入させた今の紫への移行の片鱗だったのかもしれない。
私は床に寝そべりながらテルさんのレポを待った。テルさんのハイテンションな
レポを期待していたのだが、実際きたメールは珍しく歯切れ悪いものだった。
どうやらこの年のピースフルはテルさんのお眼鏡にかなうものではなかったようだ。マリーさんについて尋ねると「往年のスター選手の久しぶりの登板に期待していたけれど……」と奥歯に物が挟まったような表現で返された。
さらに、8月には追い討ちをかけるように水越さんからあっぴんさんのJET脱退の知らせを受けた。ジミーさん亡き後、JETの音を支えていたのはあっぴんさんである。これからJETはどうなるのかと不安が過った。それから数週間後、あっぴんさんの後任にギターのエディさんとキーボードのミミさんというフィリピン系夫妻が加入されたという知らせがきた。キーボードのミミさんがいることで曲のレパートリーが増えるかもしれない。しかし、今まで3ピースバンドでやっていたJETの音が変わってしまう不安に苛まれたメンバーチェンジの報でもあった。
どう転ぶのか期待と不安は半々だった。
さらにコザ音楽祭を疑問視する声や、中の町ミュージックタウン構想による再開発が進むにつれ閉店や移転をしていく店の話を私は見聞きした。

そんな中、私はGyao!で一本の映画を見た。2002年のコザに生きる売れないバンドマンが酒なしでは唄えない歌姫と出会う物語だという。
さっそく視聴してみる。
映画のタイトルは“Fire!”。後に『真昼ノ星空』、『群青』という映画を撮った後に沖縄に移住し、2018年に新沖縄文学賞を授賞して小説家デビューをする中川陽介氏の監督作品である。
内容は以下のとおり。

舞台は2002年のコザ。リュウジ、カズト、タマキは売れないバンド「ファイアーボール」を結成している。
生活は苦しい。タマキは親の営むホテルの店番をしつつも、親からはちゃんとしなさいと怒られてばかり、リュウジはアパートの家賃の支払いにも事欠いている。
カズトにいたっては妻子持ちでの音楽活動。夕飯に不平を言ったとたん、仏頂面でホーメルのソーセージとマヨネーズを奥さんに渡され、縮こまりつつご飯を食べるカズトは笑うに笑えない。
しかし、彼らは音楽で食べて生きたい。
三人はコザにあるクラブ「ピンクサロン」(実際は那覇に存在するクラブ)にて定期演奏をさせてもらうべくオーディションをしてもらう。
結果はNO。しかも飲んだビールはおごってもらえない。
ごねる3人。だが、オーナーの宮城はAサイン時代のバンドマンたちと比較して一笑に付すが、このシーンでのリュウジの噛みつくような台詞が胸に刺さる。
「先輩たちの話は聴きました。でも80年代に生まれた僕たちはどうすればいいんですか?遅れてきて生まれた僕たちはダメなんですか?」
その台詞は劇中に残酷なほど映し出されるコザのうらぶれた景色と相まって心がきしむ。
それでも宮城は突っぱねる。
リュウジはこう吐き捨てた。
「この街をボロボロにしたのは誰なんだよ」と。
その言葉にカチンと来たのであろう宮城は演奏を許可する。ただし、ジャンルはR&B。しかもボーカリストのローズが酒により急逝したことでわずかな活動期間ながら伝説となった「ベスタローズ&ロマンサーズ」の曲のトリビュートという条件で。
なんとしても音楽をやりたい彼らは承諾し、宮城からテープを借りて音楽を覚えていく。
しかし、肝心のボーカリストがいなくて途方に暮れてしまう。
すると。海岸で美しく優しくも物悲しい声で「安里屋ユンタ」を唄う不思議な女性を見つける。彼女の名はアキラ。
酒と引き換えに彼女は美しい歌を唄い、その歌声に3人は魅せられていく。
3人はアキラにボーカルになってほしいと頼むものの連絡がつかない。
必死で探す三人。見つけたものの、なんと清掃のバイトで片付けていたダンボールハウスに寝ていた彼女を発見し、起こしてようやく探し当てたのだ。
彼女の生活の無頓着さと破綻振りに呆れるも、ファイアーボールにアキラが正式加入する。
そして、クラブでの演奏。
アキラの歌声は観客を魅了し、それを機にファイアーボールの評判は上がっていく。しかし評判が上がるにつれて、アキラの酒量は尋常ではなくなっていった。
人気が上がれば上がるほど、アキラは痛み止めのように酒に溺れ、リュウジはそんな彼女の歌と危うさに惚れていき、酔いつぶれた彼女と添い寝し、明け方、何気にアパートの屋上で鼻歌混じりの彼女のアカペラを録音する。
アキラに魅了されるリュウジに反比例してタマキとカズトは不満顔になっていく。
そんな矢先にファイアーボールに東京からメジャーデビューのオファーがきた。
しかし、カズトは脱退を表明する。
好きでもないR&Bを演奏し、アキラのバックバンドでしかない不甲斐ない自分に嫌気が差したからだ。
タマキも実力の限界とアキラへの嫉妬をこぼし、バンドは空中分解していく。
そして、ファイアーボール解散ライブを「ピンクサロン」にてやるもアキラは現れない。膨大な酒量が彼女の体を蝕んでいたのだ。
仕方なく演奏は彼女抜きですることになった。同時刻、病院で酒に溺れた末に体を壊したアキラをきつくいさめる医師。
しかし、アキラはきっぱりと言う。
「私はお酒がないと唄えない。私からお酒を取らないで」と。
ファイアーボール解散後。タマキとカズトは別のバンドを結成。
しかし、リュウジだけは音楽をやらず、録音したアキラの鼻歌を聴きながらその日暮しをしていく。
彼にとっての歌姫はまだ見つからない。

そして、アキラは酒の力を借りながらも居酒屋で、酔客相手に『安里屋ユンタ』を歌い、微笑む。

そして、暗転。
最後に柴理恵に捧ぐと記されたテロップで、アキラを演じた柴さんが鬼籍に入られたことを知るのである。

映画の採点をさせていただく。
正直言って内容は強引な展開やアート映画独特の自己完結さがこぼれ匂うが、アキラを演じた柴理恵さんのけだるげな雰囲気と所作、あどけない微笑み、そして透明感と無垢さに満ち溢れ、なおかつスプーン一杯の悲しみが混じる彼女の歌は何度もリピートしたくなる。
他の三人も味のある雰囲気を持っている。
すねた表情に幼さが残るもいじらしさを感じるリュウジ役の近藤将人さん、整った顔が美しいのにどこか情けなさ漂うカズト役の平敷慶吾さん、全盛期の8-ballのレイさんを思わせる勝ち気そうな容貌の美少女、タマキ役の及川仲さんのおきゃんさ。
よい意味で素人臭さのある彼らの演技がこの映画にリアルさとコザの街のどんづまり感を伝えている。

そして、ラストシーン。
居酒屋にて「安里屋ユンタ」を唄うアキラの歌声と彼女の晴れやかでいて消えていなくなりそうな淡さのある微笑みに涙がこぼれた。
彼女の歌は夜を照らす水銀灯とそれに照らされ夜桜のようになった街路樹のように触れられそうだけれど触れたら消えそうな儚さがあった。
そして改めて彼女がこの世にいないことを思い知らされて泣いた。
JETのCDを聴いたり、ゲート通りを通るたびにジミーさんがいなくなったことを思い知らされるときのように。
ジミーさんのギターの音色も、柴さんの歌声同様に、闇を照らす街灯やネオンのような余韻残す光を放っていた。
心の中で柴さんの笑顔とジミーさんの笑顔が重なり、仄かな光を残して夜の黒色の中に溶けていく。
死者は美しい音や面影を残し、永遠に私たちの心にその姿を刻みこむ。

同時に、コザのロックミュージシャンについて何らかの形で文にしたい衝動にかられた。仕事帰りに文房具店で原稿用紙を買い込み、文章を試しに書いてみても語彙力と構成力のなさからなのか陳腐なものにしかならず、私は歯痒さを覚えた。
今思えば仕事への不満と不安もその衝動を加速させたのかもしれないが、一刻も早く羽化したいと願いながらも、もがく芋虫のように私は焦りばかりを増幅させていった。
そんな毎日を送っていたある日、街で映画を見た帰りに高校時代のスクールカウンセラーだった一乗寺先生と出会った。
すらりとしたスーツ姿にボブカットがお洒落な一乗寺先生は地元の私大の教授だった。私は一乗寺先生に誘われ、映画館下のフレッシュネスバーガーでお茶を飲むことになった。
やんわりと近況を尋ねる一乗寺先生の言葉に私の心の柔らかい部分が刺激されたのかもしれない。私は堰を切ったように今の状態の行き止まり感を正直に話した。
一乗寺先生はそんな私に動じずに静かに微笑んだ。
「あなた、うちの大学を受けてみる気はない?」
そして、「気が向いたらいつでもメールしてちょうだい」と名刺と大学のパンフレットを手渡された。
一乗寺先生と別れ、帰りの電車の中で渡されたパンフレットを広げると新しい学科が2007年に新設されることがわかった。その学科の概要を読むと、学びたかったことの大半があった。2007年度の受験はもう間に合わないだろう。しかし、2008年度ならまだ時間がある。それに2008年になれば……勝算はある。私はあることを思い出し、一度は封印し、諦めた大学進学という夢がまた再燃し、炎になっていくのを身体中で感じていた。

(オキナワンロックドリフターvol.70へ続く……)

(文責・コサイミキ)

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