オキナワンロックドリフターvol.24

朝起きたらしとしと降る雨の音で目が覚めた。時計を見ると午前7時半。
忍び足でキッチンに入り、冷蔵庫から昨日買ったスマイルバタつきパンと牛乳、知念のオバアから頂いたバナナを取り出し、ロビーで食べた。スマイルバタつきパンにして正解だった。オーブントースターで軽く焼くと、かりかりになった生地に溶けたバターが染み込んで香ばしさとバターの旨味が増した。私は幸せな気分で簡単な朝食を堪能した。
すると、起き抜けなのだろうか、他のお客さんから“ボス”と呼ばれているゲストハウスのオーナーが眠たそうな顔でお腹を掻きながらやってきた。
あくび混じりの声でおはようと挨拶されたので私も挨拶を返した。
ボスから9時に南部戦跡巡りをするからと指示されたので私ははいと応対し、それまでロビーにある漫画を読んで過ごした。
身支度をするボスと入れ替わりに、雨ガッパを脱ぎ、カメラの手入れをしている同室の女の子、アキちゃんが挨拶をした。
小柄でボブカットがかわいらしい、写真の専門学校に通っていたという彼女は沖縄に魅せられ、このゲストハウスに長期滞在しているらしい。私より2歳年下の女の子はよく同室の女の子とゲストハウスを出て独り立ちしたらやりたいことを語り合っていた。
『進め!電波少年』からなのだろうか、ヒッチハイクや貧乏旅行に憧れ、ちゅらさんを筆頭とした沖縄ブームからだろうか沖縄にただの一旅行者が見ても過剰な夢と幻想を抱いてゲストハウスに長期滞在する人たちを00年代前半によく見かけた。私も人のことは言えないし、沖縄にフワフワした幻想を抱く一人だった。しかし、そんな私ですら彼女たちは危なっかしくてはらはらした。
私の気持ちを知ってか知らずか、アキちゃんは求人雑誌をめくり、もう少し頑張りたいからバイト探さなきゃと呟いていた。
昨日と違って雨はなかなか止まない。時計の針は8時45分になった。ボスは立ち上がって頷くと、私を手招きした。南部戦跡巡りの始まりだ。
ボスのワゴン車に乗り、雨の沖縄を巡る。
「どこか行きたいとこある?」と問われたので私は何故か沖縄刑務所と那覇地方裁判所をリクエストしてしまい、缶コーヒーを飲みながら運転していたボスはその返答にコーヒーを噴き出し、むせていた。
まずは地方裁判所だ。私は淡々と写るんですで地方裁判所を撮影した。次は島尻郡にある沖縄刑務所だ。
刑務所だからしょうがないが、美しい海が見える場所にぽつんと建つ殺風景な建物は私を寒々とさせ、なんだか悲しくなってきた。
私のリクエストは終了し、後はボスセレクトで南部の戦跡巡りだ。まずは沖縄県平和祈念資料館。
「待ってるからぐるっと回ってゆっくり見るといいよ」
ボスの提案に従って、まだ真新しい資料館に入り、戦争と戦後の歴史をしっかり網膜に焼き付けた。
次は平和祈念公園だ。私は花売りのオバアから花をいくつか買い、花を手向けることにしたのだが……。向こうも暮らしのためだとはわかってはいるものの、花やアメリカ軍の払い下げ品を執拗と売り込むオジイやオバアの姿に辟易し、やりきれない気分だけが心を覆う慰霊だった。
平和の礎も同じような気分になり、私は商魂たくましさへの複雑な感情とやるせなさでいっぱいになりながら平和祈念公園を後にした。
「おかえり、しっかり見られた?」
煙草を吸いながら問うボスにはいと答えると、車はひめゆりの搭へ。
前回の旅行でも行った場所ではあるものの、もう一度お参りをすることにした。ひめゆりの搭でもオバアから花を買い、手向けて祈った。
しかし、物販はともかく、以前に比べて出入口付近に屋台のような土産物屋や軽食屋が増え、そこではオジイやオバアたちが呼び込みをしていて、そこに沖縄の貧しさと貧しさゆえに形振り構わない売り込みをせざるを得ない苦い現実を見た。
旅人を歌声で惑わし、海に沈めるセイレーンさながらに呼び込みで惑わすオジイやオバアの声を振り払うように私は足早に駆けるしかなかった。しかし、出入口を通る際に、呼び込みのオバアから「クソナイチャーが!」と吐き捨てられた時はさすがに少し傷ついた。
すっかり消耗しきった私を見て、ボスが心配されたので私はひめゆりの搭であったことをぼやくと、ボスは肩をすくめ、「あー。よくある話だよ」と呟き、それっきり黙ってしまった。よくある話か……。
ボスが営むゲストハウスは自分探しのために沖縄にきた若い人らやバックパッカー達でにぎわうゲストハウスだ。しかし、それ故に地元の人たちから色々言われた経験もあるかもしれないと、私は芦屋雁之助さんに少し似たボスの横顔を見ながら思った。
長い沈黙に包まれ、車内にはボスのお気に入りだというMr.Childrenが小さく流れるだけだ。
ボスが口を開いた。
「他を案内するよ。アブチラガマって知ってる?」
私は全く知らなかったので首を振った。
ボスはだいぶガイドブックを読み込まれたのか流れるようにアブチラガマを説明してくださった。
そして、アブチラガマに到着。私は色褪せた折り鶴が吊るされたガマでそっと手を合わせた。
それからボスの案内で南部や那覇にある名もなきガマを巡った。見るたびに沖縄の地上戦の壮絶さを思い知らされ、項垂れるしかなかった。
最後は那覇市は小禄にある海軍司令部壕へ。手榴弾の痕が生々しく、私は悼む気持ちはあるものの、何かをもらってきたのか震えが止まらず、黙祷を終えると一礼して足早に去るしかなかった。
帰りにボスからどこか寄るところがある?と問われたものの、私は首を振った。寒気が続き、震えは止まらなかった。
取り敢えず、コザに帰ろう。コザに帰ったらあたたかいものでも食べようと私は思った。
ボスも青ざめる私を見て何か察したのか、車の速度を早めた。
昼過ぎに嘉間良のゲストハウスに戻った時は少し安心した。
私はボスにお礼を言うと、温かいものを食べようとパークアベニューへ足を早めた。念のためにとパルミラ通りで老夫婦が営む薬局に寄り、風邪薬を買った。
温かいものをお腹に入れて、風邪薬を飲んだら少しは良くなるかも。そう思いながらパークアベニューを歩くと、コザ食堂というポパイとオリーブのお面が埋め込まれた看板を見つけてそこに入ることにした。

複数の観光サイトによると、ここの沖縄そばが出汁がきいていておいしいとのこと。

店のマーマーである栄子さんは、ふっくりした体につぶらな瞳がチャーミングなきさくな方で店に飾られているディアマンテスのメンバーのサインを指差して各メンバーの人となりを話してくださった。
少し甘めの味付けだが、鰹出汁のしっかりきいたそばをすすりつつ、マーマーの思い出話に私は耳を傾けた。

特に印象的だったのは、ディアマンテスが営んでいたライブハウスパティがまだパークアベニューにあった頃、ディアマンテスのメンバーがコザ食堂にてよく食事をとられ、特にアルベルト城間氏がナーベラーンブシーを気に入っていたというエピソードである。
栄子マーマーは誇らしげにその時のアルベルト城間氏の礼儀正しさを語られた。
他にもしゃかり、りんけんバンド……。玉城デニー氏のサインを見つけた時には昨日の知念商店のことを思い出してぶっと噴き出してしまい、訝しがる栄子マーマーに事情を話したら、「あの人はオバアキラーだからね」と大笑いされた。
栄子マーマーは、サインを指差してはサインをされた著名人との思い出話を一つ一つしてくださった。
ふと、とあるサインを見つけ目を最大限に見開いてしまった。
……正男さんのサインである。日付は2000年の冬。
色紙には以前もらった手紙と同じやや大ぶりの女性的な字が躍っており、こう書かれていた。

「人との出逢い、食との出逢い、そして心の出逢い Masao」

相変わらずのポエマーっぷりだな、正男さんともう一人の自分がツッコミ入れそうになるものの、私はパニックになりそうなのを抑えながらわなわな震えた。

「これ、城間正男さんのサインですよね…」
私は恐る恐るマーマーに尋ねた。
「そうよー。今から四年前かねえ。息子さんと一緒にねー、ここにきて。でも、そのときねー、マーマーはアイランドはよくラジオで聞いていて知っていたけれど城間さんの顔を知らなくてね。ちょうどいたほかのお客さんがねー、「アイランドの正男さんですね」と声をかけてね。マーマー、びっくりして慌ててサインもらったのよ」
「そうですか……」
栄子マーマーは遠い目をし、溜息つきつつ続けられた。
「そしてねー。沖縄でカラオケ大会があったのよ。そのときにねー。正男さんが飛び入りで参加してね。みんな驚いてね。せっかくだからという事で急遽特別ゲストとして参加してもらってね、何曲か正男さんが唄ったのよ。とっても透き通ったきれいな声だったのよー。マーマー思ったのよ。なんでコンサートやってステージで唄わないのかなーって。そうしたら、その後あんなことになってねー。情けないねえ。悲しいね。せっかくいい歌を唄える声を持っているのに」と。
栄子マーマーの言葉に不覚にも涙し、ダムが決壊したかのように泣き崩れた。本当に私はメンタルと涙腺が弱過ぎる。
涙こぼすたびに、つかの間の交流がフラッシュバックした。
30分近い電話での長話、詫びの電話を入れたときの「あ、すみません。お話したいけれど今忙しくて。今ですね。明日沖縄伝統の行事があってお客さんが来るものでお掃除してましたよ」という言葉、そのときの照れくさそうな声、頂いた手紙、留守番電話での嫌に張り詰めた声の丁寧な伝言。
そして、その数日後に、チビさんのマネージャーさんとマネーペニー女史から知らされた悲しい話。
その数日後にやっと連絡が取れた俊雄さんの明らかに力ない声、反故にされた約束。
泣きじゃくる私にマーマーは水を手渡してくださり、「何があったね?」と尋ねられた。
で私は言葉を選びつつおおまかに栄子マーマーに事情を話した。
栄子マーマーは大体のことを察したようだ。
戦跡巡りで色々あり不安定になったメンタルに止めを指すような正男さんのサインは心をやすりで削られたような気分にさせた。
栄子マーマーは泣く私の頭をずっと撫でてくださった。

どうにか泣き止んで温かい紅茶を頂いて、そばと紅茶の代金を支払って帰る際に店にあったスロットに興じていた年齢不詳のネーネーから叱咤された。
「あんた、何泣いておるね。女が涙を見せたらいけないよ。"いなぐいくさぬさちばい"よー、強くならないと」

"いなぐいくさぬさちばい"

オタクの悲しき性、サクラ大戦というゲームで沖縄出身の琉球空手少女、桐島カンナが同じ事を言っていたなと真っ先にそれが浮かんでしまった。
女は戦の先陣という意味の、その言葉がやけに心に引っかかった。

それから暫くしてその言葉が身にしみる出来事が多発するのだが、それはまた別の話。

(オキナワンロックドリフターvol.25へ続く……)

文責・コサイミキ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?