『ロケットマン』を観たんだ。


『ロケットマン』。エルトン・ジョンの半生を描いたミュージカル映画です。

これから観る方で洋楽ほぼミリシラという方には、同性愛者のロックミュージシャンが題材ということで、フレディ・マーキュリーの人生を描いた大ヒット映画『ボヘミアンラプソディ』と比較される方もいるかもしれません。
しかし、エルトンの人生はタンザニアはザンジバルに生まれたパルーシー(ペルシア系インド人)という複雑な出自のフレディとはまた違う意味でマイノリティな人生でした。
人種や性的志向はマイノリティではあるものの、親、妹、メアリー、ジム・ハットン、そしてクイーンのメンバーに愛され、容貌もそのエキゾチックさからくるある種の“異形の歌姫”のような美麗さを持つフレディと違い、イギリス郊外の閉塞感ある田舎生まれ、親はいてもどちらも無関心で愛してはくれない、ずんぐりむっくりで眼鏡で決して美形とは言いがたい容姿というバックグラウンドが、エルトン・ジョン、そして彼の中にいる孤独なレジナルド・ドワイト少年の心に大きな空洞を作っていたからです。
享楽的でお洒落と男漁りを生き甲斐とする母親、いつも不在で家にいても陰気で、内気かつ醜く小太りな息子を疎ましく思い、趣味のジャズレコード鑑賞に閉じ籠る父親。かろうじて、祖母だけがレジナルド少年の才能に気付き、彼にピアノを頑張るよう促します。そのおかげでレジナルド少年は才能を開花させ、下積みを経て、後の長年の相棒となる詩人のバーニー・トーピンと出会い、バーニーの美しい詩、レジナルド改めエルトン・ジョンの多種多彩な糸で紡いだ布のように鮮やかな曲のマリアージュでスター街道を突き進むものの……という話なのですが、ブライアン・メイとロジャー・テイラーの徹底した監修により、万人でも観やすいように描かれ、結果、良くも悪くも『悲しくも心暖まるロックお伽噺』となった『ボヘミアンラプソディ』に比べて、内省的な表現かつ生々しい性描写が目立ちます。なおかつぶつ切りなストーリー展開なためにわかりにくく、見終わった後にウィキペディアやファンページを見て時系列や史実を確認しました。
さらにミュージカルシーンも、序盤は絶望や空虚さを抱くレジナルド少年の夢見る世界の象徴のようにビビッドかつ幻想的ですが、中盤はスター街道爆走するもののドラッグ、アルコール、処方された薬に溺れ、過食をしながら酩酊し、虚実を行き交うエルトンが見る極彩色の悪夢のように思えてめまいがしました。
正直、観る人を選ぶし、人によっては『ボヘミアンラプソディ』みたいなのを期待していたのに!と憤慨する方もいるでしょう。
しかし、ざっくりとは知っていても詳細がわからなかったエルトンの生い立ちに触れられ、エルトンの孤独と渇望からあの繊細かつ心躍る歌たちは生まれたのだとわかり、彼の人生をなぞりながら音源をしっかり聴きたい衝動にかられました。
そして、エルトンが「死んで伝説になる」ことなく、健在で、今は伴侶を得て、代理出産とはいえ子に恵まれ、穏やかな幸せを手に入れたことに安堵するのです。
全体的にごちゃついて取っ付きにくい映画ではありましたが、所々引き込まれるシーンがあり、特に、アメリカ公演のあと、ママス&パパスのキャス・エリオットの家のパーティーに招かれたものの、エルトンが淡い恋心を抱くバーニーはグルーピーと夜にしけこみ、ゲイのエルトンはちびちびと酒を飲み、壁の花状態。そんなエルトンが“Tiny dancer”を唄うシーンは、同じ曲なのに『あの頃、ペニーレインと』とは真逆の使われ方をされているのが印象的でした。
思考や音楽の方向性の噛み合わなさやメンバー間の嫉妬や劣等感からバラバラになったけれど、ラジオから流れる“Tiny dancer”をバンドマンたち、マネージャー、グルーピー、そして主人公の音楽ライターが無意識に口ずさみ、やがて大合唱して音楽が関係を繋ぎ止めている優しく暖かなシーンとして使われた後者に比べ、『ロケットマン』で使われる“Tiny dancer”は喧騒の中にいても一人。そして俯瞰の視点で歌を口ずさむエルトンの疎外感の現れであり、同じ曲を使ったシーンを見てどちらも泣いてしまったものの、涙のベクトルの違いにはっとし、映画を見終わった後で深く考えこんでしまいました。
後、ちらほらとボブ・フォッシー監督の『オールザットジャズ』やベット・ミドラー主演の『ローズ』っぽいシーンがあるなあと思っていたら、インタビュー記事を読む限り、監督はこれらにインスパイアされたようで、「やはりか!」とにやけてしまったのです。
さて、簡潔ながらまとめると、アクはかなり強く、クラクラするものの、また見たい映画になりました。これを機にエルトン・ジョンの70年代~80年代のアルバムを買い揃えていこうという気持ちが芽生えました。
そして、エルトンの曲をあまり知らない人でも、家庭環境に恵まれなかったり、俗に言う毒親持ちだったり、自己評価の低さ故に苦しんだり、穴のあいたバケツさながらに承認欲求に飢えた人には生乾きの傷に塩をまぶされたように心がヒリヒリする内容ではありますが、生きていくヒントを学ぶきっかけになるかもしれないのでそういう人たちこそ見て欲しい映画だなと個人的には思うのです。

文責・コサイミキ

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