オキナワンロックドリフターvol.55

メールをくれた、キーストーンのアルバイトの女の子はサチという名前だと知った。
私は、彼女をさっちゃん、彼女は私をまいきーと呼び、メールのやり取りをした。
さっちゃんはかっちゃんの店“Jack Nastys”でバイトしたことがあるという。勇気あるなあ!と驚嘆していたらさっちゃんから苦笑い混じりのメールがかえってきた。
「いやいや、まいきーのほうがすごいよ。城間俊雄さんと会いに行ったんでしょ?正直、コザでは城間兄弟の評判良くなかったから、まいきーの行動にびっくりした。いいことをしたんだよ、まいきーは」
え。そ、そうなのか。
さらにさっちゃんは、ジミーさんが生前、キーストーンに来店した時の話をしてくれた。
生ビールを注文したジミーさん、しかし、さっちゃんは間違えて瓶ビールを運んでしまったという。さっちゃんを叱咤するレニーさんをとりなし、萎縮していたさっちゃんを「大丈夫!瓶ビールもおいしいからねー」と慰め、笑顔で瓶ビールを飲まれたジミーさんの優しさが忘れられないとさっちゃんはメールで語った。
ジミーさんらしいなと、私はありし日のジミーさんの笑顔を思い浮かべた。
さらに、さっちゃんがまだ大学生で、卒業論文にオキナワンロックの研究をしていると知り、私は何かできないか考えた。本棚にかなり入っているコンディショングリーンや紫に関する記事が掲載された音楽専科やミュージックライフ、オキナワンシャウトを書かれた写真家の砂守勝巳さんの写真集等を資料としてさっちゃんに送ることにした。資料いらないか?とさっちゃんに尋ねたら大喜びされたので私はありったけの資料をさっちゃんに送った。
それからだんだんとさっちゃんとはPCメールアドレス→携帯メール→電話でやり取りするようになった。
そして彼女と私は毎週必ずといっていいくらいにメールや電話のやりとりをした。
大学にてオキナワンロックについての論文を書いている彼女のクールかつ、地元の人だからこそな視点は新発見だった。
主観でしか物事を見られない私には彼女のその冷静さがうらやましくもあり新鮮だった。
そして育ちのよさゆえの彼女の朗らかさが2004年から引きずっていた心の傷をやわらげてくれた。
当時読んでいた本の中に、ジャーナリスト、ジョディ・ブランコの「いじめという生き地獄(原題・The please stop laughing at me)」という本があり、ちょうど著者のジョディが四面楚歌の中で、新しい友人、アニーを得る章まで読み進めていたので、この新しい友人の来訪が的中した予言のように思えてうれしかった。
ジョディ・ブランコはその章で、ありのままの自分を受け入れ、腹を割って話せる友人を得たことについてこう記している。
「神様は別の扉を閉めても別の扉を開けてくださる。今のふかふかで心地よいいすに丸まってアニーと電話で話しているときにわたしはそのとおりだと気づいた」
メールや電話での、私の向こう見ずかつ傍若無人さにもきさくに答え、いろいろと話をしてくれる彼女の声を聞きながら、アニーという名前を電話越しの少女、サチに変えてこの言葉を心によぎらせた。
何かのめぐり合わせ。
彼女とのめぐりあいと親交は私にとって心地よくもすばらしいプレゼントとなった。
「そうだ。まいきー、マリーさんがコザに帰ってきてるの知ってる?」
え。マリーさんって、あのマリーさん?喜屋武マリーと呼ばれていたあのマリーさん?
私がメールで尋ねると、さっちゃんから「そうだよー。今はMarieって名前に変えて活動するみたい」と返信がきた。
コザでの噂話やmixiに招待してくださったレビュアーのサンミゲルさんが00年代初頭に東京で見たというマリーさんのアコースティックライブのレポートからマリーさんは永久に沖縄の地を訪れることはないだろうなと思っていたから、さっちゃんから得たこの情報は意外だった。
しかし、2005年の4月に公開された玄真行監督のドキュメンタリー映画『シャウト・オブ・アジア』に出演されたマリーさんが、沖縄に帰郷し、お母様の墓前にアメージンググレイスを捧げたという箇所があるそうなので、その頃にはマリーさんの中にで生まれ島・沖縄への気持ちが変わっていたのかもしれない。
そんなこんなしていたら、mixiでも沖縄に移住された島ナイチャーの方がマリーさんが、ご近所に引っ越したとmixi日記に書かれており、mixiでもマリーさんのコミュニティができ、マリーさん復活を指折り数えるファンの声がmixiやブログで散見されていた。
沖縄ロックに新しい風が吹く予兆なのかもしれないなと思いながら、私はさっちゃんと長話をし、翌日、
以前の職場の中にある旅行代理店でパックツアーの申し込みをした。1泊目は京都観光ホテル、2泊目から3泊目は楽天トラベルでサンライズホテルを予約した。
さっちゃんに会いたかったし、再開発が進行しているコザの様子が見たかったからだ。
さらに帰り道に寄ったリサイクルショップで喜屋武マリーの青春のハードカバー版を見つけたのでもう一度文庫版と照らし合わせながら腰を据えて読むことにした。
それから数日後。 雨の朝の出来事だった。私は、通勤途中、電柱を包むビニールに閉じ込められ、もがいていた鳥を見つけたので逃がした。鳥は息苦しさから開放されて羽ばたいていた。

何故かふいに何かを願わねばと思って、飛び去る鳥を見送りながら私は願いをいくつかを託した。
今振り返ると見事に叶った願いもあったが、叶うどころか打ち砕かれた願いもあり、結果は半々だった。

しかし、当時の私は変わりゆくコザの街に思いを馳せながら心から願った。
遠ざかる鳥を見上げつつ。

(オキナワンロックドリフターvol.56へ続く……)

文責・コサイミキ

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