オキナワンロックドリフターvol.90

前日から胸騒ぎがした。何か恐ろしいことが起きるかもしれない。どうしよう、体調崩したということで沖縄旅行初日に城間兄弟に会うのはキャンセルしようと思うくらいの胸騒ぎだった。
なかなか寝付けず、浅い夢を見ては何度も目覚めた。僅かな睡眠時間のまま起きて、荷造りをし、昼前の便の飛行機に乗るべく、私は祖母に行ってくるからと挨拶をした。
「ミキ、お土産にスパムば買うてきて」
祖母からのリクエストにわかったと答え、私は手を振り、家を出た。
熊本発福岡行きの特急の中で仮眠をとり、お手洗いに駆け込むと鞄にしのばせた化粧水を取り出した。
「綺麗な肌してるね、まいきーは」
去年の来沖で俊雄さんがぽつんと呟き、誉めてくれたから。不器量なりに肌だけでもきちんとしたかったから。
がさつな私に僅かばかりにある女心から私はピタピタと荒れた肌を化粧水で必死で整えた。
スカイマークエアラインに乗り、那覇空港に着くまでの時間、何事もありませんようにとひたすら祈るしかなかった。
那覇空港を降りてモノレールの駅までまっすぐひた走り乗車、下車して泉崎の那覇バスターミナルへと向かう。20分後にコザ行きのバスが到着し、バスに揺られながら
これから会う人たちにメールや電話で挨拶。
それが私の来沖の際のいつもの儀式。

ムオリさん、イハさん、さっちゃん、チーコさんから返事がきた。「楽しんでね」という言葉と共に「おかえりなさい」というものがあり、それがうれしくも誇らしかった。沖縄が私の第三の故郷と思えるほどになった。
バスは走り、那覇を去り、浦添を抜け、宜野湾へと向かう。

いつもなら気持ちは高鳴る。
なのに今回の来沖では空気が全く違っていた。

普天間を抜け、瑞慶覧のリージョンクラブを通り過ぎると心が弾むはずなのに、来沖初日から心と胃袋が鉛のように重く、嫌な予感が頭から離れなかった。
しかし、プラザハウスを通り過ぎれば心持が違ってくるだろうと思った。

そう思った。なのに心はますます重くなる一方だった。
プラザハウスを抜けると早速肩を落とすものを見つけた。

のぼりやの支店でお洒落なイートインスペースのあるピンクサンボが泡瀬に移転してしまい、建物だけが抜け殻のように残されていた。演歌のオーディションもあったという園田なるカラオケバーも閉店、24時間喫茶だった時計台も時間短縮してしまっている。

やはり2月にミュージックタウンにて起きたアメリカ兵の事件が暗くコザに影を落としているのかもしれない。空気があからさまに暗く、濁っていた。
中の町を抜けるとさらに肩を落とすものを見てしまった。京都観光ホテルの跡地である。

かつての常宿であった京都観光ホテルの跡地がサンエーの駐車場になっていたことがかなり気力を低下させた。

ただ救いなのは駐車場の増加により、サンエーが大幅改装され、ドラッグストアのマツモトキヨシと宮脇書店がテナントとして入ることになったことか。

バスはゴヤ十字路へと進んでいく。

そして真新しい白い建物が目に留まる。コザ・ミュージックタウンだ。賛否両論。現段階では否のほうが多いこの崩れたババロアみたいな建物をしょっぱい気持ちで眺めた。
バスを降りて土砂降りの雨の中を歩くと、なにやら面妖な事務所が。玉城……満?
なんと、笑築過激団の玉城満さんが政界へ進出!?ぽかんと口を開けた。コザは確かに変化している。しかし、残念ながら悪い方に。

コザクラ荘にチェックインして、スタッフの野口さんに宿泊料金を渡し、着替えて目指すはコザ食堂へ。
腹ごしらえでもして元気を出そう。しかし、金曜なのにパークアベニューの客足は芳しくない。閉店した店もいくつかあり、しかもコザの名物のひとつであった『次男』が閉店し、跡地は『ビストロ シェ司』という店に変わるらしく、改装中である。
パークアベニューの変わりように困惑しながらコザ食堂に入ると退屈しのぎか栄子マーマーがポータブルDVDプレイヤーで韓国ドラマを見ていた。
「マーマー、久しぶり。なんか、ずいぶん静かになりましたね。パークアベニュー……」
栄子マーマーに挨拶するものの、マーマーは浮かない顔だ。
「最近はいつもこんなさー」
おずおずと客足を問うと栄子マーマーは肩をすくめた。その顔には疲れが滲んでいた。
それでもチャーハンをオーダーすると軽やかな包丁と鍋捌きとともに栄子マーマーは「沖縄楽しんでね」と、歓待の言葉をくださった。
出来上がったチャーハンは相変わらずスパイシーだった。牛コマと玉ねぎのバランスが絶妙なのでお気に入りのメニューである。アイスティーを注ぎながらマーマーは私におっしゃった。

「あんた、店の周りをぐるっと見るがいいさ」

チャーハンを食べながらサイン色紙をぐるりと見回す。すると、色紙が正男さんのサインの上に飾られていた。私が栄子マーマーに手渡したお礼を書いた色紙だ。しかも、周りには造花が飾られている。
店の中に並ぶ著名人のサインの中に飾られた無名人のサイン。栄子マーマーの粋さがとてもうれしくてチャーハンがうれし涙でしょっぱくなりそうだった。

そんな出来事がこれから来る嵐への不安を少し鎮めてくれた。今思うとそれは本当に嵐の前の静けさだった。
何故なら、空模様は今にも泣き出しそうで、しかも空の色は灰色がかった紫に黒雲が覆う不気味なものだったから。

私は栄子マーマーにお礼を言うと、ミュージックタウンを見て回ることにした。
正直、客足はぱっとしていない。音広場はオバアたちのゆんたくの場となり、他の店も手持ち無沙汰だ。
そんな中に鰻の寝床のように狭い店舗があった。
『ドラゴン』という革細工の店だった。どんなものがあるかと覗いてみたら、なんと、店のオーナーは、JETのマネージャーだったハブさんだった。しかも、東京で何かあったのか、眼鏡が丸眼鏡からざあます眼鏡と3D眼鏡を足して2で割ったような奇妙な眼鏡で、髪もカーリーヘアからバブル時代の千堂あきほみたいなソバージュっぽい髪になっており、国籍不明の怪しい人と化していた。
なにか買おうかなと迷い、私は城間兄弟へのプレゼントに革で作られたブレスレットをふたつ購入した。
ハブさんは私がコザで色々やらかしているのを聞いているのか、それともコザに戻ったものの、色んなことが芳しくないのか、以前と違ってすっかり無愛想になり、小さな紙袋に入れてラッピングはしてもらったものの、投げるようによこされてがっかりした。
しかも、それがハブさんとの最後の出会いとなったのだから非常に残念でならない。
私はこの店、長く続かないなと思いながら『ドラゴン』を後にした。
そんな時、正男さんから電話があった。飲み会は正男さんは不参加。俊雄さんとサシ飲み。しかし、ある程度は時間があるからそれまで3人で食事でもということになった。
待ち合わせは、プラザハウス近くにある照屋宝石店に併設されていた『ティーラ』という24時間喫茶に午後21時に決まった。
私は、ブレスレットだけでは申し訳ないかなと思い、中の町にあった『花パリ』という創作ビストロでベイクドチーズケーキを1ホール買い、それを持参することにした。
雨が降りだした。私はコンビニで傘を買い、チーズケーキの入った箱をコートでくるんで雨の街を早歩きした。
空を見ると黒雲がすっぽり覆い、時折、銀の鱗のような稲妻が走り、数秒後に不気味な雷鳴が轟いていた。
雨はなかなか止まず、むしろ雨粒は大きくなっていった。

(オキナワンロックドリフターvol.91へ続く……)
(文責・コサイミキ)

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