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拾う神

 新しい年になったからって、事態がリセットされるわけじゃない。
 と、透(とお)は思った。昨年から引きずっているトラブル処理に追われている。ゆえに年明けから、かなりヘビーな残業が続いている。
 誰だ、今まで書類を適当に処理してきた奴は。ああ、時間がない。誰だ、成人の日を休日にした奴は。正月終わったばっかだし、該当者以外は普通に稼働すればいーじゃん。
 いや、いっそ正月を全休みにする必要ってあんのか? ゆるーく稼働すればいーじゃんね。なんなら出社は希望制でもいい。社食で雑煮。おせち給付。デスクで食べてもいいことにしよう。箱根駅伝つけてゆるーく仕事だ。楽しそうじゃないか。むしろバリバリの現役世代が、クソ忙しい時に、わざわざ休んで実家に集まる意味がわからない。
 しかも、透の場合、実家に集まる親戚たちが、四十路で独身の血縁女子を、毎年気の毒そうに取り扱う。思い出して、透はイラッとした。
 皆、はっきりと口には出さないのがまた腹立たしい。いや、弟の野郎は堂々と『結局、嫁き遅れたまま40過ぎちゃったな』と言いやがったっけ。それを、あろうことか小6の姪に庇われたっけ。
『お父さん、透おばさんは一生懸命生きてるの! 今の時代、人それぞれで色んな価値観と幸せの形があるんだよ!』
 いや、姪よ、ぶっちゃけ、私はいわゆる王道の価値観と幸せの形でも満足なのだよ。単純にその流れに乗っかれなかっただけなのだ。あえて王道の価値観に歯向かったわけでも、アタシらしい新しい幸せのカタチを探し求めたわけでもない。気がついたらここにいた。それだ。
 物寂しい正月を思い返して、透はしみじみ思った。王道に乗っていないことを気の毒がられるのも、色んな価値観の体現者であることを押しつけられるのも、当事者からするとまあ面倒で、昨今の世の中はなかなかに難しい。
「……むしろ結婚しても全然構わんのに、ずっとなんとなく独身っていう存在が、もう王道だよね、今の世の中」
 と、透はぶつぶつ呟いた。
「あの、」
 男の声がして、透は顔を上げた。
 日に焼けた青年が、気味悪そうにこちらを見ている。なんだ、優秀な部下の今井君じゃないか、どうした、そんな陰気な顔をして。
「……課長、大丈夫スか。なんかぶつぶつ言ってますけど」
「え? ああ、ごめん、私なんか言ってた?」
「ハイ」
「気にしないでくれる? 現実逃避してただけだから」
「えええ……」
 今井君が言葉を失う。
「ストレスで離脱とかやめてくださいよ、課長潰れたら、マジこのチーム詰みますから」
 ……詰むとは何かね、君は将棋が好きなのかね。あー、もしかして若者言葉ぁ―? てか、今井君はもう30過ぎた子持ちじゃないか。よく見れば白髪だってある。おお、若者だと感じる年齢がどんどん上がっていく……。
「……課長?」
「はい」
 そうだ、朝の会議中だった。現実逃避終わり。
 透は、頭を振って切り替えた。
「あと何社チェック残ってる?」
「8社っスね」
「じゃあ悪いけど、今井君やっといて。OJT兼ねて武田さんに手伝ってもらうのがいいね。武田さん、一人でもある程度対応できるようにしておいて」
「はい」
「高石君、報告書は?」
「あ、できてます」
「文字大きめで印刷してくれる? あと、この案件の今後の処理の進め方をマニュアル化しておいたほうがいいよね。刈谷君、大場さんと原案まとめておいて。なる早で。他は協力して、今月の締め切りの案件を進めてください。質問があったら今どうぞ。この会議終わったら、部長も私も外だから」
 会議室に座る面々に緊張が走る。
「……もしかして、いよいよッスか」
「はい」
「……本部っスね」
「そうですよ」
「……武運長久を祈ってるっス」
 今井君、なんだね、その物々しい物言いは? 
 透が思わず眉を顰めると、今井君だけでなく、全員がすがるような、祈るような眼差しで透を見ている。その表情に、そうだよな、と透は改めて思った。彼らの会社員、いや社会人としての人生が、この私の舌先三寸に、かかっているっちゃかかっている。
「……苦しゅうない。万事、任せておきなさい」
 透は、重々しく答えて、会議を締めた。

 とは言ったものの気は重かった。
 内部監査で不備を指摘されたのだ。そんでもって、透は今から監査本部に釈明に行くのだ。
 通告があった時には、全員が寝耳に水だった。入れ替わりの早い部署で、誰もが皆、前任者から引き継いだ通りに仕事をしていただけだった。
 慌てて指摘を受けた案件を精査してみると、どうやら長い年月をかけて、作業内容が簡略化されていたらしい。本来あるべき機能を果たさなくなったまま、書類処理だけが形骸化している、という状態になっていた。
 面倒だからプロセス端折ってよくね? これ意味ないからやんなくてよくね? という効率重視の課長が続いていたんだろう、と透は察した。彼らはすでに栄転済みだ。そんなもんさ。大体とばっちりを食らうのは、後に来る、地味で地道な課長なんだ。
 現在の担当者、延いては課全体が非常に無責任であると糾弾されたが、透は取り急ぎ全員を庇った。要は、みんな死ぬほど忙しいんである。他にも山ほど仕事を抱えている。あの件が気になるから、ちょっと掘り下げて見ておくか、という時間が取れないまま日々が過ぎていくのだ。
 ウチに不正はないんだ、不正は。透は奮い立たせるように自身に言った。ただ書類管理の仕方がアレだったんだ。これからは違うぞ。我がチームは生まれ変わったのだ。それを、訴えなきゃならん。論理立てかつ情に訴え、うまくことを運ばなきゃいけない。もう口八丁手八丁、丸め込めればなんでもありだ。
「伊藤君、行くよ」
 部長の声がした。
「はい」
 いざ出陣。……今井君、このモードは君のせいだ。

「……まあ、良かったんじゃない?」
 と部長が言った。
「そうですか?」
「うん。結果、厳重注意に落ち着いたんだから」
「ですね」
「鬼気迫ってたよ。僕の出る幕なかった。先方も押されてたなあ」
「そうでした?」
「うん。色々お疲れさん」
「まあ、私だけのことじゃないですから。貧乏くじひいちゃった、で泣き寝入りさせるわけにはいかないですから」
「……伊藤君は、上手く生きるのが下手だねえ」
 突然、言われて、透は呆気にとられた。
「ああ……そういえば……よく言われますね」
「でも、見る人は見てるもんだよ」
 部長は頷きながら、スーツのポケットに手を入れた。
「さあ、これで一服していきなさい」
 透に何かを手渡すと、ぼかあ先に帰ってるから、と言って、部長は飄々と去っていった。渡されたのは生ぬるい500円玉だ。
 気づけば珈琲店の横にいる。
「……えええ?」
 これは恩賞か? 何というケチさ加減か、と呆れながらも、透は笑ってしまった。
「息子さんの学費が嵩んでんだわ、仕方ない」
 あーそうか、きっと部長が先に口添えしてくれてたんだなー。
 思いながら、コーヒーを買う。
 そういや、高石君の報告書は完璧だった。ポケットのカサカサは大場さんがくれた喉飴だわ。カバンには今井君がくれた厄除守が入ってる。
 窓際に座って、コーヒーを啜る。
 刈谷君も武田さんも、年明けから一生懸命働いてくれてるよね。そういや、たまたま同じところに配属されただけなのに、皆それなりに上手くやってる。おや、大変いいチームに恵まれているじゃないか。
……なんか私、幸せじゃね? と、透は不意に思った。

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