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合理的な神秘主義

〈学習〉というのは、実に不思議なことです。

人間は〈学習〉します。
動物も〈学習〉します。
植物だって、たぶん〈学習〉しているはず。

〈学習〉が不思議なのは、その仕組みがわからないから。


わからないことは「神秘」です。
理由はわからないけれど、生命は〈学習〉すると信じる。

このような態度は「神秘主義」であり、僕は神秘主義者です。


しかし、残念なことに、世の中を見渡してみると、
〈学習〉がうまく機能しているようには感じられません。
ことに、人類社会。

簡単なことなのに、なぜか学べない。
主義と観察する現象とが矛盾しているんです。


さて、では、どうするか。


まず、「考える」か「考えない」かの選択があります。

「考えない」という選択の先には、
  ・自分の責任にする。
  ・他人の責任にする。
という選択があります。

考えないで自分の責任にするという態度は自分自身を呪うことです。
考えないで他人の責任にするという態度は他人を呪うことです。

「考える」という選択の先には、
「他人の責任」にするという選択肢はありません。
「考える」というのは自己責任ですから。


なぜ主義と現象とが矛盾しているかを考える。
ここでも選択肢はふたつです。
 ・主義が間違えている
 ・矛盾には何か理由がある


主義が間違えていると考えるのは簡単だし、
現実的な態度でもあります。

だけど、「自己責任」なんです。
そう考える〈私〉は、本当にそう考えたいのか、を問わなければ、
自分自身に対する責任を果たすことが出来ません。


自分自身への責任を問えば、
僕はどうしても自分の主義を捨てることが出来ません。
だから、主義と現象とが矛盾する理由を考えることになります。

理由を考えるという態度を合理的と言ってもいいでしょう。
だから僕は合理的な神秘主義者です。


神秘に基づいて合理的に理由を考えれば、
出てくる単純な答えは「阻害」です。

人類が〈学習〉できないのは〈学習〉を阻害されているから。
そう考えると、問いは次へと進みます。

何が人類の〈学習〉を「阻害」しているのか。
〈学習〉の光を妨げているものは、なにか。


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