見出し画像

自分の頭で考えるお金の話 その6~「借金」と「ツケ」の違い


当シリーズ、またもや更新が滞ってしまいました。暑いので、面倒なことを綴る気になれない...


気を取り直して、おさらいをしてみます。

『その1』では、「インフレーションを考える」として、近未来の想定で買い物風景を描写してみました。

IT技術がどんどんと進展して一般の買い物においても株式市場などと同じように瞬時に情報伝達がなされるようになれば、買い物をしようとしたその瞬間に値段が変わってしまうことがありうる、という話。

『その2』を跳ばして『その3』で考えたみたのは、インフレーションの原因は新しいお金が創造されて(信用創造)、ぼくたちが暮らしを展開している実体経済の中に注入されることによって起きるのだということでした。

「常識」ではインフレだと景気が良くなるとされていますが、本当は好景気とインフレの間には直接的な関係はない――「自分の頭」で考えてみると、そのことが理解できます。では、なぜ、インフレと好景気が関連することが常識になったのか?

『その4』ではそこのところを考えてみようと思ったのですが、まだ準備不足だったようで、論点を上手く整理することができなかった...。

仕切り直しの『その5』では、江戸時代に目を向けて、江戸時代は物価は時代を通じてずっと物価は上昇していた(インフレの特徴)が、現代とは違って社会にお金が十分には回っていなかったということを示てみました。


 ★ ”準”貨幣経済を定義してみる

以下、考えを進めていきます。

前回『その5』では、「インフレ状態」「デフレ状態」という言葉を造語してみました。

・インフレ状態:社会の中でお金が余っている状態
・デフレ状態 :社会のなかでお金が足りていない状態

「準貨幣経済」もまた、ぼくの造語です。社会の中にお金が十分に行き渡っている「インフレ状態」で機能するのが(完全な)貨幣経済とするならば、十分にお金が行き渡っていない「デフレ状態」は、準貨幣経済だろうと単純に考えてみただけのことです。


もう一度、江戸時代の貨幣制度を見直してみます。

江戸幕府を運営した徳川家は、金山や銀山を直轄地として直接支配し、採掘される金銀を用いて金貨銀貨を鋳造して社会の中に流通をさせました。

理想をいえば、仮に十分な金が取れたならば、本位貨幣を金に統一して全国に流通させるのがよい。お金は財の価値を計る「秤(はかり)」ですから、複数の基準があるより単一の基準であるほうが好ましいのはいうまでもありません。度量衡は統一するのが望ましいし、覇権を握った王権が最初に行う政策のひとつに度量衡の統一は必ず入ります。

ところが、お金に関してはそれができなかった。できなかったのは何も江戸幕府に限ったことではなくて、これは過去の大半の政権が実現できなかったこと。理由は単純に、金や銀の量が足りなかったからです。

だったら紙幣を発行すればいいのに、というのは現代人の発想です。昔の人には「紙切れ」を信用することは難しかった――わけではないのだけれど、信用の仕方が現代人とはいささか異なっていた。

今回、考えてみたいのは、この「いささか」のところです。そのことを考えてみるための準備として「準貨幣経済」なる状態を想定してみるという段取りです。


★ お金が足りないと、人々はどのように商売をするのか?

江戸時代は金や銀の量が足りず、東西でそれぞれ金本位、銀本位の貨幣制度を敷いた。それでも足りないので、諸大名に藩札の発行も認めた。藩札とは、今でいうならば地域通貨です。

それだけいろいろとお金が発行されていたのならば、十分足りたのではないか? 

いえ、それでもまだ足りなかった――、ここのところは学術的には資料から論証というのが筋道でしょうけれど、ここは「自分の頭で」考える場。なので、身近なところからの推論で仮説を組み立てていくことにしたいと思います。


まず単純に、「お金が足りないならば、お金なしで取引をしただろう」と考えてみましょう。つまり、お金が足りなかったところは物々交換経済や贈与経済だっただろうと推論をしてみる。

この推論は常識的です。昔は現代よりも物々交換や贈与で暮らしが営まれていた部分は大きかった。資料を引いて論証をするまでもないという意味で、常識的です。

では、それだけだったか? お金がなくてもどうにかする知恵を昔の人は持ち合わせていなかったのか? もしくは、もし現代に暮らしているぼくたちが何らかの事情で同じ状況(「デフレ状態」)になったとして、物々交換をする以外の方法を発見することはできないのか? ぼくたちが発見できるのであるなら、昔の人は実際にそうしていただろう――と考えるのが「自分の頭で」考えることです。


社会にお金が足りない場合に、人々はどんなふうに商売をしていったのか――このことを考えるとっかかりが「借金」と「ツケ」です。

お金が足りている(「インフレ状態」)ならば、借金。
お金が足りていない(「デフレ状態」)ならば、ツケ。


★ 「借金」と「ツケ」の違い

身近なところへ話を引き寄せて考えてみましょう。

あなたはどこかのお店で買い物をしようとしています。ところが――あまり想像したくないでしょうが――気がつくと手持ちのお金がない、、、。そんなときには、どういった選択肢が考えられるか。

手持ちはなくても、銀行口座なりに残高はあってしかもATMなどから引き出しが可能か、あるいは口座から直接決済されるデビッドカードを持っていてかつ店が使用可能なら、問題はありません。デビッドカードが使用可能なら使えばいいし、口座から引き出し可能なら少しの時間、会計を待ってもらえばいい。

ですが、引き出し不能の状態ならば? あるいは、口座に残高がなかったとしたら?

この場合、選択肢は3つです。

 ① 買い物を止める
 ② 「借金」をして買い物をする
 ③ 「ツケ」で買い物をする

最も賢い選択は①です。とはいえ、いつもいつも賢い選択をできるわけではないのが世の中のままならぬところ。必要に迫られて①というわけにはいかないことがしばしばある。

そうした時、現代では②ということが多いでしょう。自身の口座に残高はあってもなくても、クレジットなら②。キャッシングなどで用立てるのも②です。(ただし、親類や友人などから借金をするのは、ここでは③に分類をします。理由はあとで説明をします。)

昭和の時代あたりまでならば、「ツケで」ということも多くありました。


②と③の違いは、商慣習や文化、あるいは民度や徳という言葉で表されるような人間同士の信頼度によるとするのが常識的な感覚というものでしょう。そして、”常識的な感覚”としてしまうと、それらはそうあるように教育するべきもの、というふうに常識的には考えられます。

ですが、ぼくはそのようには考えません。そこには「常識的な感覚」が隠蔽してしまう経済的な環境からの力学が働いている。マルクスが言ったように、経済は社会の下部構造であって上部構造である慣習や文化を規定していると考える。ですから、「そうあるべき」とするならば、教育をするよりも経済環境を整えた方が合理的だと考えます。


かつての世の中ではツケが行われたのは、そのような文化や慣習(精神)が先にあったのではなくて、そうするほうが合理的であるような経済環境があってこと。人間はバカではない(「感応」をしていく)ので、自然にあるべきように適応をしていく。かつての「適応状態」が現在のそれと違っているときに、その違いが文化などとして認識されるということです。


★ 「宵越しの金は持たない」は合理的

もう一度、買い物の場面に立ち戻ります。

買い物をしたい、しなければならないのだけれど「先立つもの」がないというあまり考えたくない場面で、しかも現代なので③の「ツケ」は効きにくいと考えましょう。

そうすると、残された選択肢は②しかありません。

この場合にはどういった「お金の流れ」が生まれるのか、以下、具体的に(数字を入れて)考えてます。

・AがB商店から1万円の買い物をしようとしている
・Aの所持金は0円である
・AはC銀行から1万円を「借金」する

AがCから借金をした時点でCの口座からAの口座へ1万円が送金されます。当たり前ですが、送金が可能なのはCの口座には1万円以上の残高があるから、です。

ぼくたちの現代の常識では、Cには(銀行なのだから)常にお金があるとことになっています。「常にお金がある」ということは、言い替えれば「必要とされている以上にある」ということ、つまり「インフレ状態」です。


ところが江戸時代は「デフレ状態」でした。「常にお金が足りない」ことが常識だった。だとすれば、仮にAが借金をしたいと思ったとしても、Cにはお金がないのだから、たとえAがどれほど信用がおける人間であったとしても、お金を貸すことができない。「無い袖は振れぬ」です。

それにそもそも、江戸時代には銀行などありませんでした。「デフレ状態」なので、銀行の仕事などなかった――というは実はちょっと違っていて、銀行の仕事とは「デフレ状態」を「インフレ状態」にしていくことですから、「デフレ状態」の江戸時代は銀行はまだ出現していなかった。「金貸し」はいましたけれど。

ところで、「金貸し」と「銀行」は違います。表面的にやることは同じですが、本質は根本的に異なります。なので、金貸しは「デフレ状態」であっても仕事がある。


かように、「デフレ状態」では、Aが銀行から借金をしようとしても、そもそもそういう「仕組み」ができあがっていないので、制度的に不可能だった。ならば金貸しからと考えてしまいますが、けれど、これはAが信用のおける人間だった場合、Bにとっては不利になります。

金貸しが高い金利を課すのは今も昔も変わらないし、信用がない人間が金貸しを利用することも変わりません。少し考えてみれば不思議なことですが、銀行との取引は「信用ができる」、対して金貸しならば「信用できない」――やっていることは同じのはずなのに、「信用」という点ではなぜか反対になってしまいます(この疑問は、改めて考えてみます)。

江戸時代のように銀行が存在しなくても、「信用」は存在します。「信用」をお金が足りないからといって金貸しの利用を促すということは、「信用」を金貸しに譲り渡すことです。ならば、自身で「信用(を引き受けるリスク)」を引き受けて、信用がおける人間であるAとの信用度を高めていく方がBとしても得策だという判断になる――つまり「ツケ」は、経済環境から適応することで導き出されてくる合理的な行動であるわけです。


以上のように、常識的なところから覆して考えていくと、「宵越しの金を持たない」という振る舞いも、実は「信用」を獲得する上で合理的な行動だったということも見えてきます。

「デフレ状態」の貨幣経済では、お金は不足がちで信用がある人間であったとしても、必要な時にすぐに調達できるようなシロモノではなかった。なので、商取引は貨幣を用いない(というより、機能の一部を用いる)「ツケ」を採用することが合理的だった。

「ツケ」が合理的で一般にも普及していたのなら、信用がある人間ほど常に「ツケ」を抱えていただろうと推論ができます。そうした人間が、たまたま希少なお金を手にしたら? より大きく「信用」を獲得しようと思うのならば、少しでもお金を相手に回して「ツケ」を清算するのは合理的な行動だと言えます。


「インフレ状態」の現代では浪費としか感じられない「宵越しの金を持たない」という行動は、実は経済環境にしっかりと適応した合理的な行動原理だったと考えられるわけです。

「準貨幣経済」とは、「宵越しの金を持たない」ことが立派に合理的な行動原理たるような貨幣経済のこと。


長くなったので、ここで一旦切り上げます。次回は引き続き、準貨幣経済について考えていきたいと思います。


感じるままに。