見出し画像

中学受験、ある女子中学校の奇跡の学校改革と軌跡の話!

入学者5名。
それが1989年に入学した中学生の人数だった。まさに廃校の危機だった。
廃校の危機を知り、やってきたのは28歳のまだ若い女性教諭だった。
外部からやってきたこの若き教師には、完全に「社会に取り残されて」いる学校ように感じられた。

やれることは何でもやろうと学校改革に挑んだ。
最初は、小学校をめぐり、自校を受検するように頼んだが、学校の受験を勧めてくれるのは塾だと気づき、それからは滑り止めでもいいから自校を受験してくれるように塾に頼んで回った。

逆風が吹いた。
せっかくのテレビ取材の紹介では、厳しい生徒指導、牢獄のようなひどい学校、真っ暗な学校と言う視点で紹介されてしまったのだ。
致命的だ。もうダメだとも思った。それでも諦めなかった。

自分がこの学校に通っていると知られるのが恥ずかしいと、帰り道は制服を着替えて帰る生徒がいることを知った。
当時、発売されていた「東京女子高制服図鑑」では、自校の制服のことを「生きた化石」と揶揄されていた。

東京女子高制服図鑑 ’89-’90年度版

制服は、生徒にとって毎日着る大切なものだ。着心地よく、かっこよく、そして女子校生がかわいいと思える、そして楽しい気持ちになれるものでなければならない。

教員のチームでデザインした。
他にない斬新なもので、自分の通う学校に誇りを持てるようなものに、組み合わせを自分で選べて毎日が楽しくなるように、個人の体感温度に合わせて組み合わせられるようなものに。

「制服は持ちのよい制服素材」が常識の時代に、発色がよく着心地がいい婦人服素材を採用することにした。
日本全国のどこにもない色柄になったが、これが起爆剤になった。
1990年、学校改革が始まったすぐの翌年のことだった。

トイレは、身だしなみを整えたり、ほっとしたりできるお洒落な空間に生まれ変わらせた。
玄関は、下駄箱を撤去し、友達とおしゃべりできるようソファを設置した。肝心の授業も、生徒が主役であるようにカリキュラムを全面的に改定した。

そして、1989年は志願者55名であったが、1994年には延べ人数にはなるが志願者が1724名になった。
1989年の偏差値33が、2000年には51になっていた。

改革は続く。
2003年に,、卒業した10年後の28歳頃が「仕事、結婚、出産といった人生のターニングポイント」になるという考えに基づき28projectを開始した。28projectを達成するには3年では短いと考え、2004年に高校入試をやめ、完全中高一貫校へと移行する。

2004年から実社会を経験させることにより、職業観や学校の授業と将来の仕事を結びつけるライフデザイン教育を開始した。

ライフデザイン教育の一環としての起業体験プログラムからは、企業とのコラボレーションによって、女子校生独自の視点から実際、商品化してヒット商品を世の中に送り出しもした。

若き28歳の女性教諭、漆紫穂子は校長となり2017年には理事長となって、現在まで活躍している。
これが、都内屈指の人気を誇る品川女子学院だ。

※参考文献
・漆原理事長のインタビュー
・品川女子学院ホームページ及びブログ
・ウィキペディア
・365人の生き方の教科書

ChatGpt4がしょうもないものしか作らないの、自分で「仕事の流儀」風に品川女子学院の紹介を書いてみました。教えている生徒が受けるので、勉強ついでに。

学校案内だけでは、知りえない情報も今の情報化社会では調べることが出来ます。

2025 中学入試案内

こういった書籍は必ず購入しなければなりませんが、本気ならもっともっと調べましょう。
自分の子どもが6年過ごすかもしれない学校なのですから。


※後期に向けて若干名の生徒を募集しています。
※個別コンサル(スポット授業)も積極的に受け入れています。

https://ikyena.jp/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?