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どこでもドアもテキオー灯もないこの世界で

ドラえもんが好きだ。
急になんだ。なんでもいい、私はドラえもんが好きだ。

どれぐらい好きかというと、教員時代、世界の地域についての授業の時に、いちいちドラえもんズを登場させて話をしていたぐらい好きである。

説明しよう!ドラえもんズとは、世界各国に散らばるドラえもんの友達の総称である!

ドラえもんズ

彼らは「親友テレカ」なるものを持っていて、それを持って仲間を思い浮かべると、すぐに仲間たちと連絡がとれる。

彼らをちょくちょく授業に登場させていたせいで、生徒はちょっとドラえもんズについて詳しくなった。
すまない、未来ある子どもたちよ。しかし、余計な知識が人生を豊かにすることもある。覚えておきたまえ。
歴史の授業で土偶が出てきた時も、映画日本誕生に土偶の形の敵が出てきて、それがめっぽう怖いんだ、という話をしたことが記憶に新しい。

倒したと思ったらまたくっついて動き出す。怖すぎる。

伝わったかどうかは置いておいて、それぐらい好きなのである。
幼少期、兄が劇場版のドラえもんとクレヨンしんちゃんを狂ったように観ていたのをそのまま受け継ぎ、私の幼少期のほとんどはドラえもんとクレヨンしんちゃんでできている。

ドラえもんの魅力はなんと言っても、あの四次元ポケットから出てくる数々のひみつ道具だ。あんなに夢の詰まったものはない。
それではひみつ道具の中で何が一番欲しいか、これは人生における難問である。
王道のどこでもドアやタケコプターはもちろん欲しい。空を自由に飛びたいし、玄関から世界旅行をしてみたい。
「日本誕生」大好き人からすると畑のレストランや、動物の遺伝子アンプルとクローニングエッグから作られたペガ・グリ・ドラコにも憧れる。
でも、一番何が欲しいかといわれと、私は「テキオー灯」を選ぶ。

テキオー灯。この光を浴びると、海だろうが宇宙だろうが、どんな環境にも対応できるようになる。映画「海底鬼岩城」ではこの道具を使って海底に潜っていくのである。

話は変わるが、私は海が好きだ。
電車や車の窓から海が見えるとテンションが上がり、海岸沿いを歩けば思わず足を浸けたくなる。
地平線の向こうまで延々と広がる海。私は海が好きだ。
それと同時に、広い海に広がる世界への恐怖心も持っている。

だから私は水族館が好きだ。
大きな水槽で、大小さまざまな生き物が共存し、生を全うしている様子を安全な場所から眺めることができる。
あの水槽は広い海のほんの一部に過ぎないのだろうが、あの広い海にこんな世界が広がっているのだと思うとわくわくすると同時に、ああ、人間が敵いっこないなあと安心する。
人間は絶対にそこへ行けない。彼らのようにはなれない。酸素ボンベやウェットスーツを装備してやっと少しだけお邪魔できるだけだ。

仕事をしていた時、光も音が嫌になった時期があった。家に帰っても部屋の電気をつけることができず、暗い部屋で上着をフードまで被ったまま蹲って動けなかった。
あの時、あの海の中に行けたら、と思ったのだ。

だから私はテキオー灯が欲しい。何か嫌になったとき、一人になりたいときにどこにでも逃げられるように。

久しぶりに辻村深月の『凍りのくじら』を読み返した。

私はこの本が大切で、読むたびにえぐえぐと泣いてしまう。
主人公はドラえもんが好きな高校生、芦沢理帆子。ひみつ道具の名前で章立てされていて、物語の展開にもドラえもんやひみつ道具が絡んでくる。

ドラえもんの作者、藤子・F・不二雄は「SF」を「Sukoshi・Fushigi(少し・不思議)」と唱えた。
理帆子はそれにならって、周りの人間の性質を「少し・〇〇」に当てはめて遊ぶ。
Sukoshi・Free(少し・フリー)やSukoshi・Fungai(少し・憤慨)、Sukoshi・Fukou(少し・不幸)やSukoshi・Fusoku(少し・不足)など。
そして自分自身のことは、「Sukoshi・Fuzai(少し・不在)」と名付ける。屈託なくどのグループの輪にも溶け込むことができるが、場の当事者になることは絶対にない、どこにいてもそこが自分の居場所だと思えない性質。

そんな彼女が、物語の終盤、光を浴びる。暗い海の底や遥か空の彼方の宇宙を照らす光を。
そうして彼女は自分の生き方と向き合い、それからの人生を生きていく。

長々と何が書きたいのかわからなくなってきたが、久しぶりにこの本を読み返して大いに心が揺れている。
この物語自体も「Sukoshi・Fushigi(少し・不思議)」な物語なので、彼女が浴びた光を実際に浴びることはできない。
しかもまだこの世界にはドラえもんはいない。だからテキオー灯もどこでもドアも存在しない。ひみつ道具に頼らずどうにかしなくてはいけない。

時間だけはあるから生き方や人生についてよく考える。その度に気分が上がったり下がったり忙しい。
どうしたって結論が出るわけではないけど、それでもこの世界に適応していくには、自分を照らす光を見つけるためには、好きなものや好きな人たち、やりたいことや気になることを増やしていくしかないのかなあと思う。
暗い所も一人きりも、落ち着くけど、やっぱりじめじめして寂しいので。

仕事を辞めてから1か月。少しずつ気持ちが前向きになることも増えてきた。まだ、次はどうしようかと思えるまでには時間がかかるけど、とりあえずは肩の力が抜けるまで、太陽の光を浴びて散歩でもしようかなと思う。

まあでも、ひみつ道具が発明されれば、私を遠い海まで連れて行ってほしい。頼んだよ、ドラえもん。


こうやってどうしようもない事態になってから、いつだって初めて気付く。私はくだらない。計算して言葉を組み立てて、相手を悪く言って、その場所や感情に縋らないふりをして、だけどこうなってからいつだって後悔する。心の底から思う。私は帰ってきて欲しい。

二十二世紀でも、まだ最新の発明なんだ。海底でも、宇宙でも、どんな場所であっても、この光を浴びたら、そこで生きていける。息苦しさを感じることなく、そこを自分の場所として捉え、呼吸ができるよ。氷の下でも生きていける。君はもう、少し・不在なんかじゃなくなる。

『凍りのくじら』

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