自然を大切にする文化と、木のお墓
最近では樹木葬も普通に耳にするようになりましたけども、生きた樹木でなく、生きた樹木を伐って削って墓標にする文化が、この列島にあったことを最近知りました。
■荒れた山の手入れをライフワークにした貝澤さん
北海道の二風谷というところにダムがつくられることになったのをきっかけに、最終的にその川の流域にある荒れた山を借金して買い上げてナショナルトラスト運動を始め、その山の手入れをして歩くことを生きがいにしながら生涯を終えられた、貝澤正さん。その墓標は、木でできています。
亡くなる前の貝澤さんが、手入れしている山を案内している姿が、「あるダムの履歴書:二風谷ダム」というNHKの番組の中に残っています(YouTubeに上がっている「あるダムの履歴書:二風谷ダム(4)」の冒頭部分)。
2、300年先の山の姿を描いて、荒れた山の手入れをされていました。「借金して家内に怒られながら……。やっぱりできるだけのことを、口ばっかりじゃだめだからね、自分でやれる範囲内のことをやって。昭和19年に買った山も、だいたい手入れが終わって、あと手入れが必要なくなったから、今度は次の段階としてこれ(この山)買って、これを楽しんで死んでいこうかな、と思ってる」。
このあと、最後に「いい夢でしょ?」と言って、笑顔を見せておられた……。
貝澤さんは、二風谷にダムがつくられることになったとき、その水底に沈むことになった土地の所有者でした。アイヌにとっては聖地も含まれる、その土地の意味を知ることさえなくダムを建てられることに対して、貝澤さんと、もうお一人、萱野茂さんは立ち上がり、2人で立退きを拒否したのでした。
でもその土地は強制収用されてダム工事は着工され、おふたりは強制収用差し止めを求めて最終的には訴訟を起こし、この土地の強制収用は違法だという判決が出たこと、その判決がアイヌを先住民族と国の機関が初めて認めたものだったこと、この判決が出た年に、北海道旧土人保護法は廃止になって、アイヌ文化保護を目的としたアイヌ文化振興法ができたこと……。どれも画期的でした。
貝澤正さんは強制収容差し止めを求めている最中に病気で亡くなられて、息子さんの耕一さんがそれを引き継いでこられたんですが、その耕一さんのお話を聞ける機会があったときに、うかがいました。
気安く引き継ぐよといっちゃったのが間違いだった、と耕一さんは笑っておられたけど、大変さが半端なかったこと、耕一さんの信念の深さ、はひしひしと伝わってきました。収用差し止め訴訟だけでなく、膨大な借金も引き継ぐことになって(荒れた山を買い取ったときの借金)、その返済が済んだのはつい4,5年前だというし、そのあいだも、ずっと山に森をよみがえらせようと、耕一さんはナショナルトラスト運動を続けてこられてきたのです。
■アイヌの精神文化
耕一さんのお話会のとき、「あるダムの履歴書:二風谷ダム」から少しだけ映像を見せていだいたのですが、貝澤正さんが亡くなる1月前、病床で語っていた場面に、はっとしました。
こうおっしゃってた。
「アイヌの精神文化がね。自然と共に生き、自然を大切にする、その精神文化がやっぱり人間のほんとうの生き方だっちゅうことを感じてきたっちゅうこと。
ちょっと普通の人間には考えられないんだけど、この地球上には人間だけでねえんだ、キツネも住んでるんだ。それから…あれも、カラスも住んでるんだ。木にも神さまが宿ってるんだっちゅうこと。精神文化がやっぱり人間を育てていく、人間の一番大事な文化でねえかなって思うようになったし。
このアイヌの精神文化っちゅうのをやっぱ日本人もわかってもらってね、いいとこをとりあげて、お互いに助けあって。今みたいに金さえ残せばいいっちゅうような、その悪いのを、もうなくさなけりゃだめですよ。
だから私が主張している、山を大事にして残しておきたいちゅうこと。100年も200年も切らない山をつくりたいちゅうこと。同じなんだから。アイヌはそうなんだから。木でも必要なだけ切って、もっとも商業的なあれがないからだけどね、乱伐しないっちゅうこと……」
「キツネも」と聞こえたとき、一瞬聞き間違え?と思いましたが、そのあと「カラスも」と続いたので、あ、やっぱりキツネとおっしゃったんだな、と確信して、そのときすごく、ぐっときた。語られていることの背後にあることが、どれだけ具体的で日常的でリアルかを想いました……。
(上記のインタビューは「あるダムの履歴書・二風谷ダム(4)」の8:22あたりから)。
■生木を削ってつくる墓標
貝澤さんが亡くなられたとき、遺言にのっとって、弔いはアイヌ式で行われました。アイヌの墓標はチクペニ(エンジュ)の木を使ってつくるんだそうです。山に木を選びに行くところから、墓標をつくるまでが「あるダムの履歴書:二風谷ダム(5)」冒頭部分で写されています。
チクペニの木について、萱野茂さんは「神様の山、山懐に、立木の神様数あるけれど、雄弁も度胸もその香りも兼ね備えた立木の中の立木の神様。すごい誉め言葉なの」とおっしゃっていました。
伐ってすぐの木から、墓標をつくっていくのです。その土地土地で、決まった形に削るんだそうですが、個人名を刻むことはなく、墓標は「歳月に風化していくことがよしとされる」んだそうです。
柱っぽい形なので、一見するとトーテムポールっぽく見えなくもないですが、高さは背丈の半分くらい。死者があちらの世界へと歩いていくための、これは「杖」であって、用途が終わったらもう自然に還っていいもののようでした。
現代の、自然葬(樹木葬や海への散骨など)を求める気持ちの中には、この木の墓標に託される世界観に近いものがあるようにも感じます。
アマゾンに暮らす先住民族の文化でも、死ぬことや死者への心のもちようが、西洋文明などとはだいぶん違うみたいと、感じてきました(ピダハンの人たちに、それが鮮明にうかがえました)。自分個人よりも大きな自然への、具体的な信頼が、常にそこにあるからなのかなあ、と思ったりしています。
P.S.「あるダムの履歴書:二風谷ダム」というドキュメント番組は、全容がよくまとめられています。少しながいけれど興味ある方にはぜひ見ていただきたいです。
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