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澤好摩「光源」を読む 一

ご厚意により、澤好摩句集「光源」を読む機会に恵まれました
読み進め、考えるために文章にしようと思います

老鶯や岬の端に行く電車

現代文の感覚では、端にの「に」は方向や目的地と読めるでしょう
「老鶯」と「岬の端へ行く電車」です
老鶯の声が聞こえる場所から、岬の端へと走る電車を眺めている
或いは、岬の端へ走る電車に乗っていて、車窓に老鶯を聞いたのかもしれません
主体が車中にいるとすると、「岬の端」は目に見えているものではなく、情報になります
端は現実的な突端ではなく、概念・旅中における主体の気分とも考えられます

端にの「に」を「〜において」と場所と読むこともできます
「老鶯」と「岬の端」と「行く電車」です
この場合の「行く電車」は「走っている」、もっと単純に「ある」と取ってもいいと思います
行くにこだわって考えるなら、主体の視点から遠ざかる、外れる方向へ走っているとも読めます
景は一つに絞られます
老鶯の鳴く小高く開けた場所にいる、岬を見やるとその端に走る電車が見える
「に」を「〜において」という場所として読むことで、老鶯の鳴く主体のいる場所から岬の端までの距離が感じられ、空間が生まれます
その空間に「行く電車」は実にぽつんと感じられます
老鶯の声という臨場感、岬の端までをみはるかす空間の広がり、そこに電車を見つける視点の集中
一言一言に感覚が呼び覚まされ、自らの体験と錯覚するようです

私はこの読み方が好きです

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