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「ゴジラ-1.0」ネタバレ感想

「ゴジラ-1.0」観てきました
ネタバレというほどのものではないのですが、感想を

最初に、音楽が良かったです
ゴジラのテーマがかかるまでに相当お話は進む、時間がかかるのですが、流れた途端に悲しい
悲しみに満ちていました
そして、本編中ずっとゴジラの音楽は悲しいのです

それから、「国は人の命を粗末にしすぎた」「国は責任を取らない」「国は当てにならない」という台詞が良かったです
映画に限らず、人に鑑賞されるものは全て、その解釈を人に委ねなければいけません
この作品では「それを言っちゃおしまいよ」的な美学で「言わずもがな」にされそうなところが、映像化、言語化されていました
70年育まれてきた「ゴジラ」だからこそ、「ゴジラ」がエンタメでもあるからこそ、それは見せなくてはいけない、言わなくてはいけないことだったと思います

敷島が生還した理由が両親の「生きて帰ってきてくれ」という言葉にあったことも良かったです
戦時中の一般人は皆、国の言うことを頭から信じていたとか、疑問はあっても自ら抑圧していたとか、私はそういう描写ばかり読んだり観たりしていました
何かしら疑いを抱くのは、政治家とか学者とか軍部の偉い人とか、「そういうことを考える立場の人」でした
けれど、誰だってものを考える、疑問も望みも持つということが、敷島の両親の言葉に端的に表れていたと思います
大戸島の整備兵も言っていたしね(「戦艦大和の最期」で、出撃前の艦内に議論が巻き起こったという内容がありましたが、橘の人柄や大戸島の立地的にあの部隊には各自が個人の意見を持てる空気はあったのかなと思います)

最後に、海に沈むゴジラに対し捧げられた敬礼です
このシーンで初めて気がついたのですが、この作品では「ゴジラとは何か」という哲学を語る人物は出てきません
ゴジラには英霊説もありますし、作中、原爆実験との因果関係を示す描写もありました
けれど、それは言語化はされていません
ですから、あの敬礼は「英霊」に対するものでも、「原爆実験の犠牲」に対するものでもありません
この作品の人々にとって戦争は記憶でも過去でもなく、自分の体の一部で、それを抱えて今この時を生きていました
そうして生きた日々をまた明日の命に繋げるために何をしたらいいか、何ができるかを考えていました
おそらく、あの敬礼は「殺し合いの末に生き残り、また生き延びようとする者」の「死にゆく者」への、命から命への礼だったのだと思います

他にも、VFX(?)に取り混ぜられたミニチュアの特撮が良かったとか、橋爪功の使い方が贅沢かつ気が散る!とか
ご覧になった方は分かると思いますが、「シーーーーン」となるシーンがありますよね?
あそこで隣(と言っても、数席空いてですが)の人の「どうした…」という心の声が口に出ちゃったのが聞こえたこととか、いろいろありました

観て良かったです

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