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包むということ(仮)


餃子大好き!なので今回は参加してみた。
ラーメン屋さんにひっそりと佇む餃子、中華料理店でいろんな種類がある餃子、スーパーの冷凍食品コーナーで、コンビニで、どこででも餃子に出会うことができる。
遠く中国から遥々よくぞ来てくれたぜ餃子。
実際には第二次世界大戦終結後、満州から引き揚げた人たちから日本に餃子が広まったという。
中国の餃子は水餃子で、主食として食べられるというのは最早有名な話だ。
「餃子を頼んだら、ご飯もついてきて注文を失敗したんだと思った」と私の敬愛するウー・ウェン先生のエッセイに書かれていた。それくらい中国の人にとって餃子ライスは衝撃的なものなんだなあ、としみじみ思った。
日本の中でも「お好み焼き定食」とか「ラーメンライス」とか「焼きそばパン」なんて賛否の別れれるものが発生しているのだから仕方ないし、日本人の炭水化物に対する圧倒的な信頼感のようなものを感じる。
餃子は皮が小麦だから炭水化物、主食扱いなのだろう。そして、私は炭水化物+炭水化物の組み合わせが大好きだ。

私は餃子が大好きなだけで、一家言あるというわけではない。
実家は最大人数が6人家族で子供3人、大人3人の家だった。今思えば市販の餃子がテーブルに並ぶことも多かった。いつも”みよしの”のチルド餃子をフライパンで焼いたものが食卓に上っていた。
某有名健康や生活についての番組(日曜日の夜やっていた)で、餃子特集をしたあたりから手作り餃子が我が家にも登場するようになる。自分たちで具材を包むのも楽しかったし、テレビで言っていた通りなのか、そうじゃないのかわからなかったがおいしかった。
それから数年後、家族は両親の離婚だなんだと分裂して暮らすことになりホットプレートを囲む食事をするようになったのは随分大人になって、これもまた私が離婚して実家に帰ってからだった。
出戻り居候である私も一人の家事労働力として、休みの日に妹と餃子を包んでホットプレートで焼いて夕飯にした。時々生地から作ってみたりもした。
餃子は家族の架け橋……なんてきれいなストーリーもないし、酔っぱらった父が2、3個つまんで寝室に消えて行き、妹2人と祖母と4人でわいわい食べるごく普通の、大人しかいない家庭の夕飯の話だ。餃子について一家言あるわけではないとはいえ、情熱もない話である。

本格的に、いよいよ餃子に対するボルテージが上がってきたのは再度実家を出て、現在の同居人氏と暮らすようになってからだ。
もともと同棲する前から、同居人氏は餃子が好きだった。冷凍餃子について詳しかったし、そもそもの餃子屋さんも好きだった。
私はというと、ラーメン屋さんにあったらちょっと頼んどくかな、とかお財布が温いしお腹もペコペコだから頼んでおこうかな、くらいのテンションだ。本当に餃子好きなのか?
二人暮らしで必要になるかしら、実際どうだ?所詮二人だぞ?と思いながら、でも家庭にはホットプレートが必要だから!と購入したホットプレートがものすごく役に立っている。お好み焼き、焼き肉、そして餃子。
ホットプレートにおける餃子の登壇回数は群を抜いて多いと思う。
手間がかかる餃子、でも材料コストが低い餃子。そしてなにより、同居人氏が時々リクエストしてくれるのが餃子だ。
同居人氏は食事のリクエストをしない男だ。その同居人氏がリクエストしてくれるのだから気合も入る。
そして具材を切る、調味する、混ぜる、包むという「調理してるぞ!」という充実感もうれしい。

私の目指す餃子は「タレなしでもいけそうな餃子」だ。いけそう、がポイントだ。
野菜は白菜かキャベツを大量に、そして肉は豚挽き肉。キャベツの時はにらか玉ねぎを入れると水分量がちょうどいい気がする。白菜の時は白菜だけでも十分おいしいが、セロリのみじん切りも入れる時がある。ここはスーパーの青果コーナーと相談するポイントだ。
なんとなくあの時のテレビを思い出しながら「野菜7、肉3」の鉄則を守ればおいしく、ジューシーな餃子ができると信じている。あの番組はダイエット問題とか大人の事情でなくなってしまったが、小学生から自分の心の中に刻まれている。同居人氏にこの話をしたら「それは本当に大丈夫なの……?」と尋ねられたが、今まで振舞った餃子は目分量とはいえこのレシピだ。
野菜と肉を準備したら、塩、醤油、オイスターソース、酒、鶏ガラスープの素、ごま油を入れてよく混ぜる。調味料も目分量だ。おっかなびっくり入れないで心に陳健一でも周富徳でも誰でもいいので降臨させて入れてほしい。
ちなみに私の心によく降臨するのはワンさんである。息子さんが日本人のお嫁さんをもらって定期的に日本に来ている。ひょんなことから知り合って、中国料理のいろいろを教えてもらっている。先日は台湾のルーローハンを教えてくれた。ちなみにワンさんは実在しない。
何度か作ると安定した味になるし、その時々で味が違ってもいいじゃないかと思っている。餃子は懐の深い、器の大きい料理なのだ。
私はここまで「餃子作るの好き!餃子の個人的なレシピもある!」みたいな顔をしているが肝心の包みが下手くそだ。本当に下手くそだ。
ヒダが2つくらいしかできない。ヒダの少ない餃子は立体感に欠けるのだ。
しかし、バットの上で横になる平面的な餃子もかわいらしく見えるのは作り手の欲目だろう。
やや平面的な餃子がアルミのバットに並んだら油を敷いて熱したホットプレートに整列させる。羽根なんて贅沢は言わない。
ここもレシピで割れるところだが、我が家はここで熱湯を注ぐ。蓋をして蒸し焼きにするのだ。
音がジュウジュウからパチパチになってきたら蓋を外して更に水分を飛ばす。
そうすればもう焼き上がりだ。酢醤油や食べるラー油、マヨ七味をつけて炊き立てのご飯と頬張る。
我ながら会心の出来である。ご飯のおかわりも必要だ。
野菜がもりもり入っているのでサラダなどの副菜を考えなくてもいいのも嬉しい。

という記事を先日まで書いていた。
タイムリーに餃子をもりもり食べたくなって中年二人暮らしで100個餃子を包んだ。
餡が2種類になったため、飽きることなく餃子を食べた。
生まれて初めて餃子だけでお腹がいっぱいになった。
せっかく炊いたお米に手をつけることなく食事を終えた時、餃子の皮の秘めたるポテンシャルを感じたのである。
まだ我が家の冷蔵庫には30個弱の餃子が眠っている。

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