持久走大会を休みたい息子との対話
持久走大会休みたいと言ってきた息子(小2)とゆっくり話してみた。
今年は具合が悪いのと私の予定に付き合わせて休んだ以外、休みたいと全く言わなかった上の子は1年ぶりに「学校休みたい」と言ってきた。
持久走大会があるからという。
私「時間走になったんだから、キツイなと思ったらゆっくり自分の気持ちいいペースで走れば良いから無理しないで良いんだよ?」
(つまり昨年も持久走大会を休みたいと言ってきた。いまだに順位づけありの距離走の持久走大会やっていたので、学校アンケートに学習指導要領解説やら参考になる実践研究を書いたら今年から時間走になった)
息子「ゆっくりにしたり、歩くと怒られるんだよ」
時間走はその決まった時間をいかに気持ちよく楽しく走り切れるかを学ぶものだと思うのだが、辛いってことはスピードが合っていない。
ちなみに時間走は学習指導要領の例示には2,3分と書いてあるんだが、4分走になっている。なんでこの1分増やすのか…
指導はもう少しゆっくり走ったら?という方向になると思うのだが、そこで「苦しくてもがんばれ!」となっているのが現状なのだろうと思う。
苦しい=体力向上と思っているのだろうか。
私は息子に「体育は色んな種目をするけど、全部が全部得意で大好きになる必要はなくて、自分がこのあと大人になっても続けたいなと思う楽しい運動が見つかれば良いと私は思ってるし、これは苦手だなと分かることも大事なことだから嫌いだと思っても全然大丈夫だと思うよ。
でも、それを楽しいと思って一生やりたいと思う人がいるぐらい一つ一つに面白さがあるんだけど、先生たちがその面白さを伝えられていないんだと思うから、本当に残念だよね。
私はデンマークにいた時に10kmマラソンがあったけど、なるべく早く走りたい人も、仮装しながら走る人も、音楽聴きながら走る人も居て、終わったらみんなでホットココア飲んで楽しかったねーっていうマラソン大会やったんだけど、誰も辛そうじゃなくてどうやってその10km楽しもうかな?って考えてやってたの。
そうすると走るの楽しいなって思えて、また走ろう、またやろう!ってやると辛くなくても体力つくのよ。
そうやって無理しないで楽しくて、何度もやりたいと思えるやり方もあるから、走るの嫌い!っていま決めないで、色んな方法があるって覚えておいてね。」
なんとなく分かったようで、翌日すんなり学校に行きました。
本当に体力向上を盾にして走るの嫌いにしないで欲しい。
走るのは、一番一番身近な運動で、子どもは放っておいても走り出すぐらい自然な運動なのに、こんな苦しい、辛いという価値づけをわざわざ学校体育でする罪深さに気づいて欲しい。
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