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3月3日に親ができること。

こんな私も昨年子が生まれ、母になった。

娘が3月生まれだからか、まんまるお尻が桃に似ているからか、桃の節句はしっかりお祝いをしたい気持ちが強く、だいぶ前からどうしようかとあれこれ悩んでいた。
一番大きなお雛さま問題は「今ではお下がりを使う人も多いよ」なんて話も聞いたので(あのお雛さまがうちに来てくれたら嬉しいな…)と私のものをそのまま使うことに。

棚板も重く、小道具も多く、全くコンパクトにもならない、昔ながらのお雛さま。

古くて重い大きな箱を4箱もあけ、ボロボロの説明書を見ながらひとつひとつ飾り付けていくと2時間もかかってしまい、母がよく『もう今年は飾らなくていいよね、いいよね?!』と仕切りに聞いてきたこと思い出して(なるほどねー)と笑ってしまった。

そもそも、なぜ私がこのお雛さまに思い入れがあるかというと、おもちゃを完全に母の趣味によって決められていた我が家では、シルバニアファミリーや着せ替え人形の類のおもちゃは買ってもらえず、このお雛さまがそれの代わりだったからだ。この時期だけお人形遊びができる。期間限定の女の子遊び。

母の目を盗んで(触ると手のあぶらがつくと怒るので)こっそり人形遊びをしながら、横に飾られた綺麗なひなあられを見て、封を開けられる3月3日が早く来ないか心待ちにしていた。ピンク色の花と、カラフルなお菓子に手毬ずし。子供ながらに自分が女の子であることを祝福されてるようで嬉しかった。

やっと完成した段々のお雛様を眺めて、そんな微笑ましい昔の記憶を思い出しながら、親が子供にしてあげられる事なんてこんな事くらいなんだろうな、とぼんやり思った。

娘が大きくなって1人で生きていくことになった時、きっと思いもよらぬ辛いことが起きると思う。もしかしたら死んでしまいたいと思う日も来てしまうかもしれない。そんなとき、実際に親が救いの手を差し伸べられる隙間なんてあるんだろうか。

それでも、私達と過ごすこれから20年の間に、小さな幸せの記憶をいくつか積み重ねられたら、それが心の重石になって下まで落ちてしまうのを防いでくるんじゃないか、と思ってる。

春になり、桃の花を見てお雛さまを思い出し、夏になったらスイカを見て、冬はイチゴのケーキを見て、一緒に過ごした楽しい日のことを、1人じゃないことを思い出してほしい。たまたま私の元に産まれ落ちて、たまたま巡り合った偶然の家族だけど、一緒に過ごした時間が、いつの日か娘の背中をさすってくれたら嬉しい。

街にある色々なものに、そんな優しく幸せになれる思い出を沢山忍ばせて、記憶の中からエールを送ること。それがいずれ自分の力で生きていくだろう娘にしてあげられることなのかなっと思ってる。

娘が巣立っていった時。
その頃私は、また夫と2人の生活に戻っているのだろうけど、2人でお雛さまのケーキでも食べながら、これから重ねいていくだろう娘と過ごす3月3日の思い出を話したいと思う。

今日の日の思い出が、
いつか娘の心を励ますことになりますように。
未来の私たちのお菓子のお供になりますように。

そして、お祝いに必要なものは
お決まりの道具や美味しいご飯じゃない。
何年も心に残るように思う存分楽しむこと。

2022年3月3日

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