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雲居島 (近藤真理子)


 前略。

 船の便の連絡が悪くて効率的に色々なことができないので、時間がたっぷりあります。だから、たくさん歩いて、色々しゃべって、ぼうっと遠くを見て、そうして一日が過ぎていきました。目ざめてから日が落ち夢に落ちるまでの時間を、秒針ではなく心臓の鼓動で刻みました。空気をたっぷり吸い、大気を一呼吸ずつに小分けにしました。海に閉じ込められたせまい島を、もっと狭い歩幅で歩き、水が分けた地を一歩ずつの距離に分け直しました。(衣食住は人のお世話になったけれど、)だいぶ生きるということをしたように感じます。
 移動が、生きることを下支えするように思いました。この雲居島のはじーっこには、人が生きた証としての心臓音を集めて保存している場所があります。そこでは、訪れた人も自分の心臓音を録音することができます。世界中の他のどの場所でもなく、こんなところでだけしか、その録音はできない。島のはじーっこまで行けば、その作品内に生きた証をのこせるのです。
 でもわたしは、そこで心臓音を録音することではなく、そこまで行く(来させる)過程が、わたしに生きるをさせしめた、と思います。自分の時間が有限であること、全ての存在は独立し他者であること、自分が外界に細かく反応していること、知らないことや考えてみなかったことがあると知ること……そういうことを、単純に遠くへ行くということが改めて気づかせてくれる、そんな気がしました。
 「連邦政府と各州が合意した閉鎖措置が、私たちの生活に、そして民主主義的な自己認識にどれだけ厳しく介入するか、私は承知しています。わが連邦共和国ではこうした制限はいまだかつてありませんでした。
 私は保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。」
 これは、メルケル首相のスピーチです。持ってきているノートに書き写してありました。ここに来る前や来てから、何度もこのスピーチを思い出していたので、書いておきます。
 こんなに遠くまでやってくる道中で、色々なことに行き当たりました。慣れないことや知らなかったことに、自分の自分では触れられない一部が反応して、変化していくのを感じました。ここが島だからでしょうか、それとも普段いる場所が追いついてこれないぐらい遠くにいるからでしょうか、時間の流れ方が変わりました。さっきまで差し込んでいた日の光がなくなって、時間が流れたことを知りました。わたしの中にもわたしの時間が流れていることを感じ、この時間が止まり消えるときのことに思いをはせました。なにより、そういう全てをやってみようと自分で決めて、自分で色々な手配をして、実行したんです。わたしはここで、命でした。
 ふふ、久しぶりの遠出できっと少したかぶっているんです。
 帰りは、寝台電車ではなくバスで帰ります。さっき予約できて、ようやく落ち着いてこれをゆっくり書けるようになりました。席がまだ残っていて、よかった。ではまたそちらで。

かしこ





企画: 03. 見知らぬ土地からの手紙

 SCOOLに宛てて、様々な遠い土地から手紙が投函され、ここに集いました。
 手紙とは不思議な連絡手段です。手紙は、それを受け取る人にとっては、遠く離れた場所で書かれ、何らかの具体的な運搬手段を通じて、ある時間経過を伴って、此処に辿り着きます。その手紙を通して、受け取る人は、自分がいる世界とは異なる世界を感じることができます。
 SCOOLに展示された手紙の総体は、いわば、どこか今よりも前に書かれた遠く離れた土地の物語の集積です。手紙の文章を読んでいただきながら、手紙が投函された、ある場所、ある過去に思いを馳せてみてください。

企画作品一覧



修了展示 『Archipelago ~群島語~』 について

佐々木敦が主任講師を務める、ことばと出会い直すための講座:言語表現コース「ことばの学校」の第二期の修了展が開催された。展示されるものは、ことば。第二期修了生の有志が主催し、講座内で執筆された修了作品だけでなく、「Archipelago ~群島語~」というコンセプトで三種類の企画をもうけ、本展のための新作も展示された。2023 年8 月10 日と11 日に東京都三鷹のSCOOL で開催。

『Archipelago ~群島語~』展示作品はこちらからご覧ください。



「群島語」について

言葉の共同性をテーマとし、言語表現の新しい在り方を試みる文芸誌『群島語』
2023年11月に創刊号を発表。

今後の発売に関しては、X(Twitter)Instagram で更新していくので、よければ是非フォローお願いいたします!

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