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エッセイ|酒の人はあなた、糖の人は私(林 恭平)

 はいはい私がやればいいんでしょ、と、もはや自暴自棄な感じで、仕事に忙しく立ち回っていた師走の初旬。この日だけはゆずれまへん、と有給をとった。友人Fと一緒に、劇団四季の『ウィキッド』を観に行くためだ。
 日本では約十年ぶりの上演らしい。私は社会人になり上京してからミュージカル趣味に目覚めたわけだけど、ずっと『ウィキッド』を拝む機会に恵まれなかった。ツイッター上の信頼できるインフルエンサーがたびたび不朽の名作だと言及していたこともあり、想いが募っていた。今回の東京公演の情報を虎視眈々と収集し、幾度かの挑戦を経て、なんとか手に入れた夢のチケットだった。
 昼過ぎのスタートだから余裕がある。平日の駅に向かう道のりなのに海のような広い心である自分が新鮮だ。浜松町へ。途中の駅でFと合流。ボーカルを務めるバンドのライブをこなし、三泊四日のセブ島旅行に行き、成田に着いたその足で観劇、という全盛期のピンクレディーばりの過密スケジュールだそうで、笑ってしまった。
 発券しておいたチケットを手渡す。
「センキュー。あ、しまった、また英語出た……セブ気分が抜けない、恥ずかしい……」
「センキューは許容範囲じゃない?」
「いや私、いつもだったら感謝は『さんぷー』って言うようにしてるから、ダメ」
 などと話しているうちに四季劇場に到着。
 ブロードウェイミュージカル『ウィキッド』は「オズの魔法使い」のアナザーストーリーだ。本来は敵役である「悪い西の魔女」のエルファバに焦点をあて、対立関係にある「よい南の魔女」のグリンダと実は大学時代の同級生だった、という設定が光る。エルファバは緑色の肌で生まれたことから周囲に忌避され、それでも魔法の才能を学長に見出される優等生だ。対してグリンダはブロンドヘヤーの人気者で目立ちたがり。正反対の二人を取り巻くアメリカンスクールものの雰囲気に、一気に引き込まれた。反発し合う二人が、それでも互いのよさを認めて仲を深め、やがてオズの世界の陰謀に直面し、それぞれの正義を信じて別々の道を歩むことになるのだ。
「よい魔女」、「悪い魔女」とは。善悪の基準は人の数だけ違いがある曖昧なもの、と考えさせる内容がいい。珠玉の歌唱ナンバーにのせ、揺れる感情がガンガン伝わってくる。個人的には一幕最後の、エルファバが歌い上げる「自由を求めて」がたまらなかった。
 大興奮のうちに観劇を終える。Fも大いに楽しんでいただけた様子で、誘ってよかったと思った。Fが今回セブ旅行に一緒に行った友人が自身と違うタイプの性格らしく、「ヒマワリみたいな人」と称するその人をFは観劇中に想起したとのことだった。現地のレストランなどで、果敢に日本語のまま店員にしゃべりかける彼女の横から、英語で補足してやるスタンスをとれたからこそ、シャイなFが自意識を乗り越えて異文化交流を楽しめたのだと。そういうことってあるよねと盛り上がりつつ、電車で中野に移動し夕ご飯。
 半年前に行ったイタリアンのおいしさが忘れられず、Fに付き合ってもらった。もともと、よしながふみ先生の食いしん坊エッセイマンガ『愛がなくても喰ってゆけます。』で紹介されていた店だ。よしなが先生といえば至宝漫画『大奥』がNHKでドラマ化されたのが2023年のハイライト。豪華俳優陣による天下一武道会の様相を呈していた。
 ともあれまずは、魚介のサラダバジリコ風味。塩気と酸味が効きつつ、甘みもあるフルーティな緑のバジルソースがうますぎて、ちょっと他ではそうそう出会えない方角の味である。『ウィキッド』のエルファバを彷彿とさせる鮮やかなグリーン。よしなが先生の教えに従いバゲットも頼み、おソースをあますことなく味わう。酒好きのFにならって、あまり飲まない白ワインを私もたしなみ、気分が上がる。Fが交際中の彼の話をしてくれ、私も夏ごろに付き合っていた元彼の話を引き寄せ、タイプの違う人間との付き合い方の検証作業がはかどった。その後ポルチーニとアサリの旨味が出まくりのパスタ、エビのソースがかかった魚料理に舌鼓を打ち続けた。
 多様でハイクオリティーなデザートも自慢のお店であり、甘いものに目がない私はドルチェメニューを差し出されて嬉しい悲鳴を上げる。すると「五種盛り頼んだらええやん」とFが免罪符をくれたので、やむを得ずたくさん注文。ちょっとずつ食べられたらそれでいい、というFは何杯目かの白ワインに早々に移行していたので、結局大部分の糖分を私が摂取させていただいた。それぞれの趣向で、それぞれの領分を全うするのだ。

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