雑音

「親子」は人気コンテンツだ。世間は様々な雑音に満ちている。どこぞの知らない親子の様子を見かけて、これは虐待である、躾がなってない、こんな毒親に育てられてかわいそう、日本終わってるな、頭悪すぎて草、親の資格が無い、さまざまな怒りが表明される。他にやることはないのだろうか。

ある親子の切り取られた一瞬だけを見て、虐待しているのか、躾がなってないのか、毒親なのか、判断などできる訳がない。親と子の数だけディティールがあり、歴史と現在があるのだ。

私は泣いている人間が嫌いだから、自分の子供が泣いていれば泣くなと言う。泣くのをやめて、状況の説明と、感情、意志を表明することを求める。子供は子供だから、それでも泣き続ける。私は、感情が暴れるままに泣き喚く子供を見ながら、殺意に近い怒りを抑えながら考えを巡らせる。

これは泣くに足る状況なのか?同情すべき点はあるのか?本人の瑕疵があるとすればそれは何か?あるいは交渉の手段として泣いているのか?不足している前提があるのではないか?共感を示すべきか?戒めるべきか?どのような反応を示すことが、より良いフィードバックとなるのか?

こういうことを瞬時に判断しなければならないのだから、当然自分の感情に呑まれることもある。甘えてんじゃねえ、泣けば誰かがなんとかしてくれると思うな、はっきり喋れ、そういうことを大声で怒鳴りつけることもある。この瞬間を切り取れば、虐待なんだろうなと思ったり、でも結局これが正解じゃね?と思ったりしながら。

周りの誰に何を思われるかはどうでも良い。私の子育ての採点は、子供たち自身が十数年後にしてくれるからだ。それ以外は全部雑音である。

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