沈着冷静
11月初旬の少し肌寒い日の午後だった。
スーパーの店長を務めている私はお昼のピーク時間帯を終え、事務所に戻ってきた。そこには女性事務員が一人いるだけだった。今は電話の応対をしているところだった。
クレームの電話でなければよいが…などと考えていると事務員が、ふいに私に声をかけてきた。
「店長、島田店の小坂店長から外線一番です」
小坂店長。
私が今までで一番お世話になった店長だ。約2年小坂さんの下で仕事をした。最初はただの売り場担当者だった私に目をかけてくれ、売場主任、副店長、そして店長へと2年余りで駆け上ったのも小坂さんのおかげだった。売場の陳列技術に始まり数値管理の仕方、数字の読み方はてはクレーム処理、部下の管理方法まで小売店店長として必要なありとあらゆることを教わった。そして私が店長に昇格するのを強烈に上にプッシュしてくれたのも小坂さんだった。
小坂さんは常に沈着冷静。けして慌てはしない。 クレーマー、万引き、設備のトラブル、どんなトラブルに直面してもいつも落ち着いている。 一度聞いたことがある「なんで、そんなに落ち着いていられるんですか?」と。
「病院にいって診察されて、医者がこりゃいかんって慌てたらドキドキするやろ、店長もそれと一緒や慌てたら店が収まりつかんやろ。」 と教えてくれた。 なるほどと納得したが、いまだに、予期せぬトラブル、経験のないトラブルには少し慌てる。なかなか小坂さんの域には達しない。
そんな小坂さんから店に電話とは珍しい。 普通なら携帯にかけてくるはずなのだが、おそらくは仕事のようなのだろう。そのあたりはきっちりけじめをつけてくる。
外線一番をとる。
「おう、忙しいところすまん、ちょっと頼みたいんやけどな」と小坂さん。 別に忙しくはないのだが、とりあえずはその頼みの内容が知りたい 小坂さんの頼みならそんなに無理なものではないだろうが一応聞く。
内容はこうだった
鮮魚の担当の、藤田のおっさんが無断欠勤している、実は昨日、朝から酒臭買かったのでこっぴどく注意したばかりなので拗ねているだけかもしれないが何一人暮らしなので病気ででも倒れていたらまずいので家に行こうと思う。で、一人で行って何かあるとややこしいので誰か連れて行こうと思うが店を開けるので副店長は連れていけない。で、住所を見ると私の店のすぐ近くなので一緒に来てくれということだった。
住所を聞くと確かに店の近所でしかも歩いていける距離だった。 私は快諾し、小坂さんが来るのを待った。
そもそも藤田のおっさんは私も同じ店で仕事をしたことがあるが、職人気質なおっさんで腕はいい。が人間性に問題あり。 酒におぼれ借金を重ね、すでに奥さんにも逃げられている。どこか夜を拗ねているところがあり、何か気に入らないことがあるとすぐ仕事を休む。それでも大体の場合は鮮魚の主任くらいには電話を入れて休む。無断欠勤は記憶にない。
そんなことを考えていると小坂さんが到着。 一緒に歩いて現場に急行。 藤田さんの自宅は古い平屋の一軒家。 車は車庫に停まっている。小坂さんが何度かチャイムを押すが誰も出てこない。
「おらへんのかな...、でも車があるがなあ」 そんなことをつぶやきながら、玄関のドアを開けようとするがカギがかかっているようであかない。
「ちょっと裏に回ってみるか」そんなことを小坂さんが言い出したので一緒に勝手口のほうに向かう。小坂さんがドアノブを回すと勝手口はあっけなく開いた。そしてその中には藤田さんがいた。
いた…というより倒れていた血だまりの中に。 小坂さんはこんな時でも落ち着いていた。 周りを見回し、そばに「遺書」と書かれている封筒を発見。どうやら自殺を図ったらしい。 どうやらまだ息はあるようだ すぐに私に119番に通報するよう指示。すぐに119番にダイヤル。
どうやら自殺をしたらしく、出血して倒れている旨伝えているとどこから出血しているかを聞かれた。 小坂さんに尋ねると、「手首や!!」との返事。 それを伝えると救急車が到着するまで、手首を心臓の上にもっていくように指示があった。小坂さんに伝えると分かったと一言。 藤田さんの手を上に持ち上げていた。
私は救急車を誘導し、救急隊員と一緒に藤田さんの家に戻った。 救急隊員が藤田さんのもとに駆け寄り傷の具合を見て一言。
「これ、お腹ですね」
藤田さんは手首ではなくお腹を切っていたのだった。 一見、冷静に見えていた小坂さんも実は至極慌てていたのだった。 まさに苦虫をかみつぶしたような顔をしている小坂さんをみて、私はおかしくなったがまさか笑うわけにもいかず、同じく苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
藤田さんは救急車で運ばれていったが、お腹の皮だけを切っただけで、とくだん命に別状はなく、2週間ほどで退院した。
そしてそのあと退職願をだして人知れずやめていった。
その後の藤田さんのことは一切わからないし、なぜ自殺しようとしたかも誰も知らない。
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