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誉められることはキツイことか

 先日、思わぬところを誉められることがありました。
 いや、誉めてくださった方は、誉めたつもりもなく、高く評価している、そう感じている、ということをそのまま発言しただけだと思います。しかし、自分としては、気づいていない自分のよい点を指摘されたような、そんな印象を持ちました。

 これって、嬉しいことでしょうか?

 誉められたり、高く評価されるのは、その瞬間は悪い気はしません。
 でも、あとからそれを振り返ると、プレッシャーに感じて、きつくなる。私はどちらかというとそんな側面が強いのです。
 高く評価された。そうしたら、それを維持して、さらにのばしていかないと。そうしないと、評価してくれた人を裏切ることにならないか? 期待にそえないことにならないか…などなどと。

 話は一見、あえて飛躍します。

 春に雪国を訪れて、溶けて汚れた雪をみたとき、なぜあなたは白さを保たなかったんだ、と思うでしょうか?
 東京のように、半日も経たずに溶けて汚れて、正直、迷惑にしか思えない雪とは違います。秋に初雪としてあらわれて以来、世の中を真っ白に覆い、長い冬の間、一面、美しい白さを維持。だけど、力つきたのか、春を向かえて役目をおえたのかはわかりませんが、溶けはじめた雪です。

 趣味である合唱で、定番曲ともいえる作品があります。「雪の日に」という作品です。

 この作品をはじめて聴いたのは、今のような生き方でいいの? なにかするべきことはないの? と、20代らしい? 自問自答をしている頃でした。

 特に、「マジメなやつ」という評価をされていました。学生時代の部活動で、みんなでさぼっているときも、一人でコツコツ練習や、道具の整理を続ける。そんなタイプだったからかもしれません。でも、これはマジメだったからではなく、「先輩におこられるのがこわいから」さぼれなかったに過ぎません。マジメではなく、臆病だっただけです。それなのに、「マジメなやつ」と評価されると、それをなんとか維持して、期待にそわないと…と。学生時代に受けた、最初は小さな期待はどんどん大きくなって、それにこたえなければ、というプレッシャーがものすごく大きくなって、息苦しくなっている頃でした。

 そのような時に、この歌を聴いて、詩(作曲にあたって、詩人自らによって大きく改変されているので、原詩もあわせ)を読んで、厚かましくも、雪と自分を重ね合わせて考えました。答えは出ませんでした。今まで考えてきても出ていません。でも、考えるきっかけは、いただけた気がしました。答えでなくても、きっかけを得たことで、息苦しさがだいぶ解消された気がします。

 「一見、飛躍」としましたが、詩にあたっていただければ、飛躍でないことはおわかりいただけると思います。引用はしませんが、「雪の日に 吉野弘」などのワードで検索すれば、すぐにヒットすると思います。


 今回も、冒頭のことがあって、この詩を思い出しています。

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