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待つ、時間をかけるということについて

note のこの機能(他の方の記事を参照して自分の記事を書く機能)を使って記事を書くのは初めてです。
初めてに挑戦して見よう、と、思うくらい共感したので。

のんびりが基本の私はできない人間なのか

私は、仕事でも、仕事以外の何かでも、じっっくり時間をかけることを重視しています。でも、この世の中、即レスが全て見たいな状況になってきて、私の対応が遅いために、仕事を逃したこともあります。対応が遅いためにつながる機会を逃した、仕事以外のこともあります。

それを、相手のせいにするつもりは全くありません。
しかし、そこまでのスピードって、本当に必要なの? と思うことは、頻繁にあります。
世の中のスピード重視に、盲目的に従っていない?
確かにスピードは大事だけど、この手順にそれは必要? むしろ、じっくり時間をかけることで、見えていなかった課題や、より大きい成果が見えてくることもないですか と。

待つということは、贅沢なのか

お酒を例にしましょうか。
長い時間熟成したものが、喜ばれることが多々あります。焼酎や日本酒などの、古酒というのはその典型でしょう。ワインなんかも、販売の時点で十分に時間をかけたものもあれば、購入してから、管理された保存を通して、味が良くなるものもあります。ウイスキーなんて、年数が長い方が高級なのは一般的。

他方で、ヴォジョレーヌーボーは、速さが勝負です。初絞りの日本酒だって、そのまだ熟成しきっていないそれを楽しむ儀式です。

たまたまお酒を例に出しましたが、スピード重視のものと、むしろ、時間をかけることに価値があるものと、両方あります。これは、お酒だけではないでしょう。

そして、少なくとも、お酒の世界では、待つことは贅沢。より、価値観の高いものが多い。

話し合いで、発言が出るのを待つ尊さ

先日、そういう場面に遭遇しました。一人の人の課題がテーマとなり、そこにいる人達は、みな、そういう場面で意見を聞き出すプロフェッショナル、経験豊富な人たちばかり。でも、その話し合いでは、テーマの人からの発言を徹底的にまちました。いや、待っていない。時間は経過したけれど、各自がただ待っているのではなく、工夫して、自分で考えて。そういう場があるから、本人は、時間はかかっても、本当のことを語れるのだと思います。

とりあえず、話し合いの結論を出すだけならば、誰かが自分の思ったことを整理して発言すれば終わることもできたでしょう。でも、とりあえず、でいいの? 
その場にいて、貴重な体験と時間を共有できたな、としみじみ思いました。全員が、とうぜんのように、そうやって終わらせることではなく、熟成して出てくるのを待つ選択をした。そこが、プロフェッショナルなのかもしれません。

そういうこともあります。それでも、時間が優先、速いことが大切なんでしょうか。

速いことを否定しない。でも…

速きことを重視することを否定するつもりはありません。
でも、何でもかんでも、スピードだ、と言って、そのうち、スピードが必要ではないものや、むしろ、時間をかけることに価値があるものまで、(どっちなのか判断するのが面倒だから、とさえ言いたくなるような盲目的なそれで)スピードを求めていないでしょうか。


スピードの名の下では相手の事情を配慮しないことも許容されるのか

国際化し始めた頃(っていつでしょうね)、海外取り引きで、メールの即レスが深夜でキツイ、という話しを何度もききました。相手の国の事情を配慮できないだけのアホ欧州か。私はそう思いましたが、当時の(国際関係の)力関係だとそれを覚悟して、海外取り引きにはいったのかもしれません。

でも、働き方が多様化して、日本人同士でも似たようなことが最近おきている気がします。もともと日中のシゴトの人と、夜中のシゴトの人がコラボして、ということは、普通になってきていると感じることから思うのですけれど。

価値の多様化を認める中には、価値=生活の多様化を受けいれる姿勢も必要ではないかと思います。

私の仕事は、両極端です。ですから、冒頭のように逃してしまったものは、時間をかけて取り組んでこそ。なのに、迅速にやってほしい、とか、私のレスポンスが遅いから、と、去っていく方とはお付き合いしたくない。そういう心理もあるのは確かなのです。

人との関係性にも

・ウマがあうかどうかだよ
・ビビッとくるかどうか
・第一印象ですべてだ

人と人の関係で、わたしが聞いたことがあることばたちです。すべて、最初、初期、早い段階の感覚が大事ということにつながっていると思います。そして、たしかにそれはあると思います。

でも、この人と、深い付き合いになるのかどうか、なんて意識せず(意識しているから、上記の3つのような目線が意識される)、なにげないお付き合いが続いている中で、ふと、とてつもないその人の魅力に気付くことはないだろうか。気がついたら信頼していた、愛していた、とか。

ちなみに実ったことがない私の恋愛経験は、第一印象最悪の人にばかり、後にそういう淡い感情は向けられていました。最悪なのに、ふと、とんでもないほど魅力的な部分に気付いて…。(はい、ここは余談です)。

これらって、時間をかけて。待って、いそがないからこそ生まれた成果。 ですよね。

スピードが大切か否かを判断しないでスピードを求める無駄

いいかげん長くなってしまったので、まとめ。

このサブタイトルのことを綴りたくてまとめました。スピードが必要な場面があることは否定しないし、むしろ、多いと思います。

だけど、盲目的に、なんでもかんでもスピードを求めることの無駄、愚かさ。それを私はいつも感じています。

そんなにスピードを求める能力があるならば、スピードがいる事案か否かを、まずは、自分自身がスピード感をもって、可及的速やかに判断してから、スピードを他人に求めてみません?

迅速ということばと似ていて大きくことなるのに、拙速ということばがあります。

というひとことでこの記事は終わります。

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冒頭の画像は、「みんなのフォトギャラリー」で、「ハチ公」で検索してきた中から選ばせていただきました。ハチ公が忠犬? アホなだけだろう。そんな意見をきいたこともありました。価値観の違いですかね。
提供してくださった方に感謝申し上げます。



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