サークル「じぶん綴り方」の今月のテーマ、会いたい人について

 親離れしていない、という印象を持たれるかもしれませんが、亡き両親、というのが、やはり最初に上がってきます。



 親孝行したいときに親はなし、という言葉はありますが、親と語りたいときに親はなし、というのが、その理由をひと言で言った場合の答えかもしれません。



 ちなみに、私は、21の時に両親は別居を開始し、父親が家を出て行きました。そして、私が26の時に、まさに、紙切れ一枚が送られてきて、父方の親戚の名前が2つ書きこまれて(離婚届の承認欄)、あとは、そっちで署名して提出しろ、という趣旨の添え書きがあったそうです。そして、正式に法律上も両親は離婚しました。

 戸籍法と民法の都合、私は父親の戸籍に残ることになるわけですが(未婚だったので)、それがなんとなく許せなくて、すぐに「分籍届」をだしました。そのときから、私は、戸籍の筆頭者であり、一人戸籍となったわけです(その後、結婚していない、という意味も含まれてしまいますが)。

 そして母親との生活。私は今の仕事を27で始めました。もちろん、始めた当初は収益も上がらず。だから、当初5年くらいは、完全に母の収入に頼っていた状態です。そんな母親も持病の悪化、認知症の発症という、典型的な日本の高齢化社会の問題を先取りするような終盤の人生を送ることになり、5年前に亡くなりました。



 会いたい理由の前に、父、母と、どんな親子関係だったのかは触れないとなにも見えてきません。少々お付き合い下さい。



 まず、離婚して出ていった父親ですが、父が67の時ということですから、離婚してからわずか11年で、肝臓癌で亡くなったということを、いとこから知らされました。晩年は、タクシー運転手をしていたそうです。しかし、今でこそ、AIが顧客の分析をして、タクシーはかなり戦略的な商売になっています。しかし、父がやっていたころは、まだ、大学ノートに顧客ごとの売上げを書き込んで…というアナログの時代でした。そんな中で、持ち前の研究熱心さと、綿密な分析能力を活かして,昨今のAI顔負けの分析で、「流し」の効率のよいルートを割り出して売上げを伸ばし、会社ではトップだったそうです。その話を聞いたときは、「らしいな」と思いました。生活の面でも、好きだった歌を活かして、カラオケ教室の先生をつとめていたそうです。実は、生き様は、実質21才のときに離れましたが、父親のそれに私は近いと思っています。



 母親は、上記のとおり、晩年は病との戦いでした。しかし、竹を割ったような、という性格の表現がそのまま、というタイプ。誰にでも好かれようとすらしていないのに好かれるタイプの典型。本音を隠さず語るのが、安心と信頼を生み出し、根っからのあかるさで、誰にでも好かれたのだと私は推測しています。実際、私の友人が母にあったとき、「小山はいいから、かあちゃんとのみに行きたい」なんて言われるほどのそれでした。離婚したこともあり、人生後半は実家の稼業を手伝いました。時代の大きな流れで、実家の稼業は転換期にあり、その転換のかなり重要な部分をまかされたと私は思います。それこそ、寝る間を惜しんで、自分の健康も楽しみもすべて犠牲にして。そんな十数年の後に、持病の悪化をきっかけに67で引退。引退したら、大好きな漬物をたべ歩く旅行をしたいと言っていましたが、退職からわずか半年で病変がおき、後は、病との戦いだけ。そして、それをきっかけに、家事は私が担当する、というのが、母との暮らしの実態でした。お陰様で、未婚でも生活に一つも困らないように、最期に育ててくれたのか??



 もう父親とは42年。母とは5年。会っていないし、話もしていません。父も離婚を前提とした別居という突然の出来事で私から離れました。母も、11年の認知症との戦いの後に亡くなりましたから、実質は5年ではなく16年だと思います。父の42年前に語りたかったこと、母の16年前に語りたかったこと。



 それを確認するために、会いたい、です。



 決して、今の自分を褒めてほしいとか、叱ってほしいとか。そういうことではないのが、会いたい理由です。

 褒められても、叱られても、自分の生き方は自分でしか決められないし、評価もできないですから。

 ただ、なにか遺して(ここは、漢字が重要です。「残して」ではありません)おきたいことがあったならば、それをこれらかの生き方の中で、尊重したいと思う気持ちが、ずっと実は残っているからです。



 ただし。

 継いで残していくことというのは、言葉で伝える必要があるものもあると思います。でも、言葉より、姿、存在、そこにあらわれる考え方、生き様。そういうものが大事なのかもしれない、と同時に思います。別に、継いでいこうとは思いませんでしたが、ちょっとした仕草とか、ものの見方は、「あー、似ているな」と自分でも思うことは…むしろ近年増えているいるような。それが大事なのかもしれないと最近思っています。



 いろんな境遇の方がいますから、私のように、父親と21年も、母親と47年も過ごせたのは、最高に幸せかもしれません。いっしょにいても、物心ついてから恨みしかいだけないような関係性だった方も普通にいると思います。



 それでも、この世の中に今存在している理由の大きな部分を占めている人の、最後の思いを、今聞いてみるために会いたい、というのは、アリなのではないかな、と思います。

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この記事のタイトルは、直接私のアカウントからご覧になってくださった方にはわかりづらいと思いますので、補足です。

下記のサークルに参加しています。このサークルであげられた、今月のテーマに「私の会いたい人」というのがあり、それについてまとめたのがきっかけの記事という意味です。

サークルの紹介は、こちらをご覧ください。

https://note.com/osdt/n/n7541ea0f5b41

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