見出し画像

自分で課題を見つけて自分で解決に臨む

 “歌系の趣味”をなぜ続けているのか、と問われて、「生き方を考えるために続ける」と、答えたことをきっかけに(この記事で紹介)、“歌系の趣味”にまつわるエピソードから自分観察してみようというテーマの10回目です。

 このシリーズの沿革からのルートは、だいぶご無沙汰してしまいました。カラオケスナックで育ったお話が最後だから、私の中学時代まで。久しぶりに、それ以降のエピソードから、生き方をにつながったエピソードを。

高校時代の歌や音楽との冬の時代の唯一の接点

 などと書きましたが、実は、高校時代は、私の生活と音楽や歌との距離か1番離れた時代です。なにしろ片道3時間弱の通学を3年間しました。しかも、部活動にはきちんと参加。だから朝5時に起きて、5時46分の電車に乗り、帰宅は早い時で23時2分最寄駅着。そんな生活で、余裕はなかったのは間違いない、というわけで。

 しかし、人前で歌うのは恐怖。でも、歌は好き。という私には、チャンスがありました。
 登校の時間は、5時46分でも、結構車両には人がいます。学生ではなく、遠距離通勤している方が、こんなにたくさんいるんだな、というのが実感できるところ。しかし、通勤時間というのは朝の方が集中するからひどくなる一般論と同じで、23時2分着の電車は、降車駅に近くなると、1車両に自分だけ、というのは少なくない状況でした。そして、真っ暗な駅から自転車で15分。狐か狸には会うかもしれないが、人に会うことはほとんどありえない田舎道でした。

 だから、もう、今まで読んでいただいている皆様には、お分かりですね。
 人がいない広い広い空間で、ワンマンショー。

 それが、高校時代の唯一の音楽や歌との繋がりでした。

 一度だけ、顔が真っ赤になることがありました。そんなの危険だからやめろよ、と、逆ギレしたのですが、黒い犬を連れて上下真っ黒の服装で犬の散歩している方にぶつかりそうになったことがあります。もちろん、ぶつかる直前まで、大声でのワンマンショー。ぶつかりそうになった怖さよりも、「え、この人、だいぶ前から聞いていたよね」という恥ずかしさの方が先に出る出来事でした。

自由に課題を考えて取り組むことができたこと

 さて、音楽・歌絡みの単なる出来事ならばこれで終わりです。でも、この3年間の”ワンマンショー“が、のちの考え方に影響を与えているな、と思うことがあります。

 まあ、「下手の横好き」の典型例を万年やっているな、と思いますが、しかし、この三年は、その中でもテクニックはのびた時期だったと思います。誰にも気兼ねせず、試してみることができた、というのがそう思う理由です。好きというだけで、一つもこの頃は勉強したことはありません。でも、自分で声を出してみて、自分でおかしい、自分で嫌だな、と思う場面はたくさんありました。だから、それを解決しようと工夫します。それを自分のペースで考え、自分のケースで実践してみて、トライアンドエラーで取り組んでいける。
 言葉で語ってしまうと、ふーん、だから、というレベルかもしれませんが、自分で見つけた課題に自分のペースで自分で考えて、自分で実証実験して、自分で解決に向かう。そういうチャンスって、意外と人生の中で少なくないでしょうか?
 私は少ないと思うのですが、趣味とも言えない、単なる「好き」に過ぎない歌について、三年もの長い期間、それを(夏休みなどは除いて)通学している日は、確保できていたわけです。今、振り返ると、なんと貴重な時間だったのだろう。

教わった方が効率的で合理的。でも

 もちろん先生に付いて、課題を指摘していただき、その解消方法を教えていただき。その方が確実に早く上達すると思います。
 でも、効率が悪く、カタツムリの歩みになっても、自分で課題に気づいて、自分で工夫して、自分で自分を実験して解決していく、という行動、活動は、そののちの私の、何かハードルにぶつかった時の乗り越え方に影響を与えたのは間違いないと思います。

(余談ですが、最近の社会の雰囲気に、同じモヤモヤを持っています。人間そんなに効率的に高速に進歩しないでいいじゃない。もっと、個々人に寄り添っていってもいいんじゃない?、と思うのですが、それは別のシリーズで改めて)。

自分で取り組んでみたことは意味がないのか

 さて。そののち、一往、現在は声楽のお勉強も、先生についてしています。その結果、高校時代のこの試行錯誤は役に立ったのか。
 的外れなことをしていたのもあります。でも、意外と本質を突いていて、それが現在に役立っているな、と思うこともあります。

 実験は失敗が大事。数多くの失敗の経験があるから、より成功に近づける。そうだとすると、この高校時代の自分流試行錯誤は、結果は無駄、失敗だったかもしれないけれど、今得られる情報やテクニックに照らして、その理解には役立っていると思っています。

まとめ

 いつものこのシリーズのまとめと同じ趣旨ですが、これは、私の趣味にも満たない「好き」を通しての経験。でも、それに真剣に取り組んで、掘り下げてきたからこそ、結果も表面的ではなく、そののちの生き方、考え方に影響を残してくれたのだと思うのです。

画像は、みんなのフォトギャラリーで「トライアンドエラー」で検索してヒットしたものを使わせていただきました。ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?