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じぶん綴り方・お題「秋がきて思うこと」
私は、秋が好きです。
「〇〇の秋」なんて、たくさんあります。あれって、他の季節、「〇〇の春」「〇〇の夏」「〇〇の冬」って表現ありますか? 私は少なくとも知りません。
それだけ、誰しもが、秋に期待している。
いや、違うんです。
「〇〇の」とつくと、制限がかかるのです。制約されるのです。バイアスがあるのです。
そうではなくて、もっと純粋な、生(キ)のままの秋。
では、秋を生のまま考えてみましょう。
春と比較されて、秋は冬に向う季節。どことなくもの寂しい。
対して、春は、きびしくてつらかった冬を去る季節であり、はげしく熱い(暑い)夏を向かえる季節。
春が偉いわけではありません。きびしい冬のあとだから。はげしい夏の前だから、春にそういうイメージをもつだけです。秋が悪いわけではありません。たまたまきびしい冬の前だから、もの寂しく思われてしまうだけです。
そういえば、私は、「秋桜」が嫌いです。いや、Cosmos という花は大好きです。その花に「秋桜」という漢字があてられるのが嫌いなのです。
そんなに「桜」がえらいのか。秋が好きで、Cosmos が好きな私に言わせれば、桜(cherry)こそ、「春コスモス」と表現したらどうだ、と言いたくなってしまうほど。
大型連休は、春は、ゴールデン。金です。秋は、シルバー。銀です。
シルバーは、どうも寂しい印象がある。そもそも高齢者のことをなぜシルバーと表現するんでしょう。人生を立派にすごしてきて、残りはすばらしい死を向かえるだけ、な高齢者は、むしろ、プラチナと表現してもいいと思うのです。それに付随して、秋の連休も、プラチナウィークでいったらどうだろうか。
いや、銀のままだって、毒味には古から銀の箸が使われました。古代から中世までの装飾品はむしろ銀が主役。「いぶし銀」という表現は、むしろプラスのイメージをともなっているし。
さて、秋が好きなばかりに、くだらない比較をしてしまいました。
秋は秋として、秋だから好きだし、美しい。他と比較するものではありません。
だから、自由に「〇〇の」という修飾語をつけてもふさわしい存在ではなかろうか。
でも、あまりにも短い秋はやはり残念です。先週まで半袖だったのに、この数日はストーブが当たり前で、冬と変わらない状態。秋は、冬の寒さに体を慣らす大切な役割もになっていたのだと思います。
そんな、控えめで目立たないけれど、大切な秋のような存在になりたいのが、好きな理由かもしれません。
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この記事のタイトルは、直接私のアカウントからご覧になってくださった方にはわかりづらいと思いますので、補足です。
下記のサークルに参加しています。このサークルであげられた、今月のテーマに「秋がきて思うこと」というのがあり、それについてまとめたのがきっかけの記事という意味です。
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