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はじめての歌手から好きになった〜歌にまつわる生き方エピソード


 “歌系の趣味”をなぜ続けているのか、と問われて、「生き方を考えるために続ける」と、答えたことをきっかけに(この記事で紹介)、“歌系の趣味”にまつわるエピソードから自分観察してみようというテーマの12回目です。今回は、幼少時代からの歌や音楽との接点を振り返って、どう生き方につながったか、と、沿革から考えることに戻ります。

 私の大学入学当時は、バンドブームの頃でした。「いか天」なんて、最近の皆さんには死語というか、遺物にすぎないと思いますが、そういうのがはやりはじめる、ちょっと前くらいの頃です。

 だから、この頃の音楽スキは、クラッシックにどっぷりはまって、という王道(これがメジャーとか、正しいという意味ではありません)か、バンドをくんでバンド活動か。カラオケ? ええ、カラオケボックスはぎりぎり根付き始めた頃でしたが、学生が気軽にいけるようなお値段でもなく。そんな時代だったと私は記憶しているし、認識しています。

 だから、“歌系”の趣味のある私は、当然何かにはまっていた…と思われるかもしれませんが、私の“歌系”趣味の原点は、平成9年に始めた合唱。まだ、昭和の末期でしたらそれまで10年ほどある時代です。ですから、人前で歌う恐怖と戦い、大学のサークルでコンパとか飲み会があると、順番がこないように工夫していた。そんな頃でした。

 ここまで、自分の歌や音楽との関係に注目した沿革を綴ってきたのに、好んで聞いていた音楽のことはほとんど触れてきませんでした。その理由のひとつは、「カラオケスナックで育った子ども」の記事のように、流行歌は、オリジナルの歌手を知らずに吸収した時代が影響していると思います。

 たいてい、「○○さんのファン」というのが、J-POPファン、洋楽ファン問わずにあると思います。クラッシックファンだって、特定の作曲家の作品に偏っていたり、特定の指揮者に偏っていたりするものだと思います。けれど、私は、そういう好みや「聞き方」は、この頃までほとんど形成されませんでした。
 「ほとんど」とつけたのは、強いてあげれば、中学時代に、友人が岩崎宏美さんのかなりモーレツのファンで、岩崎宏美さんの歌はずいぶん“聞かされた”影響があります、初期から益田宏美さんになるくらいまでは、そこそこ知っているし、“火サス”時代ともかさなり、好きでした(私の現在のカラオケのレパートリーの重要な部分を構成してくれてもいます)。でも、あえてあげれば、という程度で、特定のアーチスト(と、いう表現は、今でも嫌いで、どうしても私は、歌手、歌勝負であってほしいと今も思っています)のファンというのは、大学入学時点では、ありませんでした。

とあるマイナーシンガーソングライターと出会う

 なんて書くと、失礼です。たしかにヒットチャートでは50位圏内に入ったことは1度? というシンガーソングライターさんですが、もう、今年でデビュー50周年の歌手ですから。そういう方の歌の世界に、大学入学のときに出合いました。

 きっかけは、高校時代に、従兄弟のバンド仲間だった方からプレゼントされた、カセットテープ。そこにこの方の楽曲が1曲ありました。これに、妙に惹かれて、なんとなく気になっていたところ…。
 大学1年の6~7月くらいでしょうか。想像力とイマジネーション豊かな恋多き青年(←自分で言うか! )は、人並みに、サークルで、一方的に好意を抱く女性と知り合います。その方が、この1曲で描かれている「君」と、あまりにも重なって! 

あの頃は若かったなー。

 引っ張っても仕方ありませんが、現在もご活躍で、先日ニューアルバムを発売されました、谷山浩子さんがその初めて「歌手」として意識して、好きになった方でした。そして、「君」が描かれていたのは、この曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=cjAzi-9Snk4

初の“歌手から歌”の歌手が影響を与えたこと

その1 その後の生活をかえる音楽を聴く環境の構築

 無意識が行動選択、行動決定に影響を与えていたのかな、というのが、大学1年の1学期後半。なぜか、この谷山浩子さんの1曲が気になるのです。そして、気になったから、谷山浩子さんの歌をもっと知りたくて、レコード店にいきました。でも、冒頭の通り、決して大流行歌手ではありません。新しい作品の発表のときに、大きいレコード店ならば多少店頭在庫はあるものの、普段は皆無。当時はやっていた「貸しレコード店」にも、ほとんどありません。今時ならば、Youtube でも検索すれば、いくらでも出てくるのでしょうけれど、当然そんな時代ではありません。そうそう、「レコード」という表記をここまでしています。音楽を自発的に聞く習慣がなかった我が家には、CDプレーヤーはありませんでした。でも、谷山浩子さんの歌を聞くために、CDプレーヤーを買いました。それからわずか数か月で、当時のおこづかい(自由になるお金)と、当時のCDやレコード代を考えると、信じられない投資をして購入し、それを毎日毎日聞き続けているほどはまりました。

その2 ワープロ通信環境の構築

 さきほど触れた、サークルの好意を抱いている女性のことを自覚したのは、夏休みに入る前日でした(そのきっかけは割愛します。万が一ご本人が読むと、さすがに気まずいので)。これで、なぜ、谷山浩子さんのその1曲が気になって仕方なかったのかが判明します(その1の、無意識が行動選択、行動決定に影響を与えていたのか、は、ここにつながる伏線。まだ、好きだ、ということに気付いていないけれど、「君」のイメージが近かったから、気になる楽曲になったのだろう、ということです)。
 そうなると、ますます、谷山浩子さんの歌をもっと知りたい。いや、谷山浩子さんのことを知りたい。そう思うようになり、これが、初の「歌ではなく歌手からのアプローチ」だといえると思います。
 そして、雑誌(しかも、なぜか、パソコン雑誌。これは、谷山浩子ファンのなかでは当然のことなのですが)の片隅の情報から、谷山浩子さんは、ワープロ通信をされている(これも、死語ですね。今でいう、インターネットのSNSみたいなものです)。というわけで、それに必要なパソコンを購入し、モデムを購入し、通信ソフトをなんとか手にいれてはじめました。そこで、谷山浩子さんのファン交流サイトに出会い、谷山浩子さんが、「草の根BBS」(これも死語だ。でも、これは、わからない方は、google先生に教わってください)に時々現れるという情報をきいて、その「草の根BBS」にアクセスするために必要なモデムをわざわざ買い直したことまでしています。

 若者がなにかにはまると、そんなものなんですね…。

 夏休みもあったので、相当これに熱をいれて、夏休み明けには、念願の谷山さんの投稿をはじめて見ることを達成しました。
 ところで、谷山浩子さんをご存じの方は、もう、うすうす気付かれていると思いますが、そんなありきたりのラブソングを歌うシンガーソングライターではありません。でも、あのどくとくの世界は、当時の私のぐちゃぐちゃな心境(かなりおそい?初恋だったのですか)には、妙にマッチしていたのは間違いありません。そして、そんな中でときどきど真ん中ストレートなラブソングがある。

その3 私史上最高のワンマンショー~表現しきったと実感する唯一の経験

 谷山浩子さんを、この“歌系”の趣味から自分観察で、わざわざこんなに取り上げるのは、もうひとつ理由があります。ここまでは、表面的な、生き方のテクニックやツールにすぎません。そうではないそれ、それは、さきほど、大学のサークルの出来事は、月を強調しました。
 8月のサークルの合宿は、当然、あの娘も来るだろう。そう、ワクワクして参加したのですが、事情があって欠席でした。
 一方当事者がいないサークル合宿に参加したもう一方の当事者はどうなるか。それは、容易に想像できると思います。
 シャイな私は? 誰にも口にしたことはありませんでした。だから、そんなことは誰もしらないと思っていたのですが、そこは、大学生のサークルです。杉下右京さんも、コナンくんも驚く情報収集ネットワーク。そういう状況であることを知らぬは本人ばかりで、すでに知られわたっていたことも、実は、合宿の飲み会の会話の中で知らされます。
 飲み会がだんだん遅くなる(ピークを超えて、“生存者”が減り始めたころ)につれて、全体の話題がなんとなくそれに集中していきます。10人弱だったと記憶していますが、車座になって、加速的にそういう話題が多くなって。
 それに躊躇していた私を気遣う優しさなのか、より強引に話をさせるご自身の欲望からなのかはわかりませんが、「そういうはなしは抜きにして、なにか歌おうぜ」という話になりました。
 人前で歌う恐怖はあったものの、あそこまでお酒が入ると、それほどでもない状態。私の順番がまわってきたときには、ほとんど躊躇することなく、そして、自然に。上記の「ど真ん中ストレートなラブソング(歌詞の解釈としては、「恋愛」だけでなく、「親子」など、他の “大好きな人” を想った楽曲ともいえるし、私は、今はそう理解しています)」を歌ったのでした。それは、妄想も都合のいい解釈もまざっています。両思いでもないのに、相手がそんな状態だと勝手に信じているのですから。でも、完全になりきっていたのだろうな…。

 歌い終わると、しばらく、盛り上がっていた宴会なのに、シーンとしたことは覚えています。

 その「シーン」の意味が、ジャイアンの歌を聴いたあとのドラえもんの登場人物たちの心境だったのか。その場にいた同級生や先輩の反応は正直わかりません(彼・彼女らも、相当お酒が入っていましたから)。でも、私自身は、あのときほど、歌いおわって、すがすがしく、自分の今の思いを表現できたな、と思ったことは、実は、今までにありません。
 「歌おうぜ」といった先輩がひと言、沈黙を破るために「この場面とおりの歌だから、思いは入っていたよなー」と、言ったことだけは妙に記憶しています。

まとめ

 大学生のサークルの宴会でのお話です。別にありきたりだと思います。また、ややマイナーな歌手にどっぷりはまって、今回綴ったような行動をとることもそんなにめずらしくはないと思います。

 しかし、パソコンにまったく疎かった私がパソコンを購入し、ワープロ通信をはじめて、SNSへの投稿なんて、今よりもそうとうハードルは高かったものです。それを乗り越えて投稿して、谷山浩子さんのファン交流サイトで情報交換をして。実は、これが活かされて、大学4年から卒業直後は、パソコン通信を活かしたアルバイトをしたりしています。そして、現在のSNSでの交流の基本のキを学んだ体験でもありました。

 現在のSNSとのかかわりは、今を生きるのには不可欠ですから、生き方に影響を与えなかったとは評価できません。さらに補足すると、SNSの人付き合いは、表面だけで済ませることもできますし、それが簡単です(現在の主流でしょう)。でも、SNSでのお付き合いを深める(当時は、むしろ、リアルな付き合いと同等になるために、リアルのお付き合いよりも制限を乗り越えるために、力をそそいでネット上の人間関係を構築していたと思います)ことは、リアルの世界の人間関係構築よりも、自分をしっかり確立(自己理解、自分を客観的にみることetc.)しないと出来ない、というのが、持論です。

 それができてのSNSお付き合いならば、オンラインだからといって、薄っぺらになることはないのではないでしょうか。その労力を省略して、SNSは、オンラインは薄っぺらい、というのは、疑問で、自分自身をお互いに深めた中での交流があるかどうか、が、むしろ分水嶺だと思うので、私は、ネット上のお付き合いも、それを意識するようになりました。

 そしてもう一つ。あのときほど、すがすがしく表現を仕切って歌ったことはなかった。これは、まさに、このシリーズのテーマである“歌系”の趣味を通じて生き方を考えるときには、不可欠なエピソードです。あの感覚をもう一度、と、求めて。

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画像は、みんなのフォトギャラリーで「おやすみ」で検索して出てきた中から選ばせていただきました。ありがとうございます。

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