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僕たちはどう生きるか


人生を「チェンジ」することは出来なかった。


時は、2023年。今年で35歳になった。(なってしまった。)
思っていた35歳はこうではなかった。多分、どの大人も「こうなるはずじゃなかった」って言っているような気がする。
しかし、なってしまったからにはしょうがない。
出来ることをやり続けるしかないのだ。
自分に任された天命を全うするしか道はない。
自分という人生を「チェンジッッ!」と声高らかに叫んでも交換することは出来ないのだ。毎日コツコツ石を積むように、頑張っていくしかない。
もっとこういう人生がよかったと嘆いても、こうしか生きられない。
今の人生を納得できるように、よりよい方向にしていくしかないのだ。

思っている以上に、小さな、小さな積み重ねの差はデカい。


ロックバランシング(三國古渓作)


なんとなくだけど、小さな、小さな積み重ねの差はびっくりするほど広がってしまうような気がする。(これは人によると思うのだが、20代後半から30代を過ぎたあたりまでは特に…。)

20代の頃、SNSの投稿には、

「友達と旅行に行ってきました〜!キラキラ」

「海外旅行に行ってきました〜キラキラ」

のようなものが溢れていたのが、
30代になってから、

「大手企業の部長になりました!(ドーン)」

「家、建てました!!(ドーン)」

というのが一部で、チラホラしはじめる。
みんな同じ社会人だったはずなのに…
あんなに、バカみたいに遊んでいたはずなのに…
追いつけないほどの差が出てしまっている。

小さな積み重ねの差の正体。


一部の間で、行動した結果が機会を生み、新たな出会いとなり、新たなチャレンジに広がり、どんどんと活躍の場が広がっていく。

ちょうど、マリオがクリボーを倒していきながら、ステージをクリアし続けていくと、クッパが出てくる感じに似ている。

小さな敵と戦い続けていると、いきなりBOSSが出てくる。(ドーン)

のような感じで。

友達と同じタイミングでRPGゲームを買ったはずが、一週間後にはとんでもないレベルになっていて、追いつけなくなっている。(ドーン)

のような感じで。

実体験として、友人と一緒に主催した音楽イベントの終わりの挨拶に、お偉いさんが出てきて「おぉぉぉ!こんな人がいたんだ。」とびっくりしたことがあった。(まさにラスボス。)

人生や仕事においても同様で、小さく小さく、戦い続けていると現れる敵がどんどん強敵になってくる。しかし、人生の場合は負けても死ぬことはない。常にコンティニュー(←続ける)をするしかないのだ。

こうしか生きられなかった。


で、当時の僕はどうだったかって?結果が付いてきているかどうかは、置いておいて、それなりに動いた気がする。(もがいたというのが正しい気もする)そうしか出来なかったし、他の方法を知らなかった。
相談できる大人もいなかったし、がむしゃらにでもやるしかなかった。
よくわからないけど泣きながら、歩いて帰るときもあった。
正直、辛かった。
友達が遊んでいる時でも、夜中まで一人で仕事っぽいことをしていた。
遊ぶ約束も、気づいたら時間が過ぎてしまっていたり。
そうこうしていたら、遊ぶことにすら誘われなくなってしまっていた。
結構きつかった。今思えば、本当にサイテーだった。
しかし、それくらい余裕がなかったし、
色々すっぽかしていたから自業自得といえばそうなのだが。
ふと思い出したのだけど、
誘われた友人の結婚式も、断ることがつらくて、
「ご祝儀払えないけど参加させてほしい。」って話をしたときもあった。
逃げようにも逃げられない、どうしようもない人生の瞬間だったと今思う。

その人それぞれの「生き方」がある


それがよかったとも思わないし、そうした方がいいとも思わない。
その人それぞれの人生があるから。「そんな君はいまどんな人生を生きているの?」と聞かれたら、少しは自分なりの癖を理解できるようになり、「僕しか歩めない人生を送る事ができていると思うよ。」と答えるだろう。
自分なりの人生に納得感を持てるようにやっていくしかないのだと思う。

やっぱり、動くことしかない。


成功したり、名を挙げてる人たちは、やっぱりみんな共通して、

自分から動いていた。

それもとてつもない、行動の数。「嘘でしょ!?」って人もいるけれど動きまくっていた、僕には「無理。」って思ったりもした。
しかし、あなたが目指すところがあるのであれば、目指す方向に向かって動くしかないみたい。
何かしら名乗りを上げている人は、みんなそうだった。
自分から動いてた。悔しいけど、動いてたわ。

100MILLIONS (REMIX) / 舐達麻

やりたいようやるじゃなきゃ頭狂うのが普通

100MILLION (REMIX)” by 舐達麻


そういえば、舐達麻さんたちも言ってたね。笑
そう、やりたいことをやるしかない。そのために、がむしゃらにでも動くしかないんだよ。そうじゃなければ頭狂ってしまうって。

キレイな美女を連れて歩いている人は、
その女性に声をかけることができたから。


掴みたいものや掴みたい想いがあるとき、
そこに手を伸ばさなければ掴むことはできない。


僕たちはどう生きるか。


死という選択を選ばない限り、動き続けていかないと道はひらけない。
もっというと、動けば、道はひらけるのだ。朗報だ。動けばいい。

喉が渇いた時、目の前にあるペットボトルに「喉が渇いた」と伝えても、
水を飲むことは出来ない。その状態が続けば餓死してしまう。


小さな事だが、みんな「動いている」餓死をふせぐために、蛇口をひねってコップに水を入れて飲み干し、喉の乾きを防いでいる。

だれもがみんな、動いているのだ。
その行動の数を増やしてみよう。どんな事でも構わない。
なんとなく、「出来てなかったなー」「やってみたかったなー」と思っていること、なんでもいい。失敗したら恥をかくかもしれない。
うまく行かないかもしれない。いいじゃないか!
その分新たな発見ができるかもしれない。
新しい気づきがあるかもしれないから。


僕たちは、動いて生きていくしかないのだ。
動いてくことで道はひらかれるのだから。



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