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春でも洗えない

 コンビニに昼ご飯を買いに行った帰り、いくつもの家で梅が咲いていた。今日はじめて気づいた風景だった。梅は家の塀よりもたかくそびえ、道を歩く他人のわたしにもふりそそいでいた。その梅の花の色がなんとも言えなかった。二日間ほど家を離れていたので、わたしがいない間に咲いたのかと思った。手にとったらほどけてしまいそうな紅色だった。あの紅を下着の中にしまいたい。そうすれば、ほくほくの心に花が咲くだろうか。

 すがすがしい心はなく、すがすがしい空気があった。「昼ご飯を買いに行く」という目的にいつも助けられている。家にいるとどうしてもこのような空気は味わえないし、頭の中がぐちゃぐちゃになって頭痛さえ感じる。頭痛をまぎらわすとりあえずの行為もさらに頭痛を呼ぶ。家の中でひとり、混乱しているのだ。外の空気はそんなわたしの頭だけでなくからだの中の血も匂いもぜんぶ、洗ってくれる。洗い流されると、いままでのわたしはよごれていたのだと気づく。とても気持ちいい風。春の匂いがかろやかな風。そんな風で空気なのに、こんなにきれいになっても、まだ洗い流されないでいるものがある。ふと、胸の中に。胸の中に蟠りをかんじる。