見出し画像

屁と確信した一発がクソだった時の絶望感

岩田です。はてなブログの過去記事転載です

みんな屁ってこきますよね、総理大臣も美人女優も屁をこきながら生きているってのが言葉に出さずとも常識です。

そんな屁を人前で堂々とこける大人はお笑い芸人やyoutuberしか思いつかないってもんでして、みんな屁をこく際は一人の空間でこくか、バレないようにこくってのが大人。

もちろん人前でやむ終えずこく場合は臭いには細心の注意をはらうでしょう。

んで一人の空間でこく屁... 屁と疑わないからこそ思いっきりこきますよね。

だたオッサンになると屁と確信していたものがクソだったりする...あると思いますし、あてほしい...

 屁こきマナー

人間が屁をこくメカニズムはこの際どうでもよいです。

生きている限り屁こきは避けられない行為なので屁こきはマナーのテーマに分類される人間の行為でしょう。

とくに普段から屁が臭いと自覚症状がある人はマナー的にも気をつけなきゃ... ですよね。

私の場合は肉...とくにステーキが大好きでよく食べるもんだから屁は臭いほうだと自覚しています。

という事で人前で屁がこきたくなったらトイレでこくように心がけています、当然後からそのトイレに入ってきた人には迷惑をかける。

ただ最近のウォシュレット付き便座には脱臭機能がついているものが多く、これは屁が臭い人間にとって大変ありがたい機能。

この脱臭機能に屁臭の罪悪感をやわらげてもらっている人、いると思います。

屁じゃなかった

本題に入ります。

人間それなりに生きていれば屁か身かの区別ってのは出来ますよね、そして屁だと疑わない時に一人ならその場でこきますよね

そんなシーンは一人暮らしでも一人車内でもなんでもいいです。

他の人間が侵入してくる可能性が無い状態では臭かろうが何だろうが安心して屁がこけるでしょう。

しかし安心してこいた屁がクソだった場合...

若者は「そんな事あるわけねえだろwww」なんて思うかも知れません。

これがオッサンになるにつれて少々事情が変わってきました。

屁と確信した一発がクソだった頻度が多いわけではありません、年に数回あるかレベルでしょう。
しかし低頻度とはいえ身だった経験を何度かすると自分の屁に疑いを持つようになりました。

「もしかして糞かも...」

今となってはお腹の調子が悪い時の屁は全く信用できません。

最悪の事態に備えてトイレで屁をこく習慣を心がけており、これにより糞だった時の絶望感を経験することは今後少ないと思う。

いい訳の出来ない絶望感

周囲にトイレが無い状態で漏らしてしまう事は仕方の無いことだと思うのです。

それでも手厳しく言えば出先でトイレに困ることがないように事前に... って事なんでしょう。

それが一人空間で屁と確信しつつもクソだった場合... これは漏らしたのではなく完全に自己責任、ソコにはいい訳が通用しない絶望感しかありません。

このような話はリアルでする事が難しい話、それは一人で失敗して誰にも見られる事なく処理する話だからです。

屁と確信した一発がクソだったことありませんか?

最後まで汚い話を読んでいただき、本当にありがとうございます。

懐に余裕がある方、ご支援を頂けると泣いてよろこびます。

ここから先は

15字

¥ 100

懐に余裕にある方、ご支援を頂けると泣いて喜びます。