昭和時代の制服と令和時代の制服

岩田です。はてなブログの過去記事転載です。

ちょっと制服について書くしかありません。

私にとって最も思い入れのある制服は高校時代に着ていた学ラン、でも普通の学ランではなく短ランにボンタンといったスタイルでした。

令和の時代に短ランボンタンの学生なんて見ませんよね、沖縄とかは伝統的にそのようなスタイルがまだあるのかもしれないけど都内じゃまず見かけません。

当時の短ラン+ボンタンなスタイルってのはヤンキーや不良のやるもの...ってな要素は当たり前なんだけど普通の高校生でチョット目立ちたい、チョットお洒落したいなんて野郎なんかも着ていました。

という事で短ラン+ボンタンな学生は珍しいどころかそこらじゅうにいたのです。

そんな短ラン+ボンタン、いわゆる変形学生服ってやつですね、そんな昔の記憶を少々...

ジョニーケイ、ベンクーガー

短ランやボンタンのような学生服ってのはそこら辺で売っていたわけではありません。
買うなら学生ショップといった今となっては意味不明な店で取り扱っていましていくつかのブランドがありました。

その中でも有名なブランドが「ジョニーケイ」と「ベンクーガー」、この二つのブランドはちゃんと金をかけたカタログを作っていましてそのカタログを眺めながら自分に似合うであろうボンタンや短ランを考えたりしたものです。

カタログには変形学生服の様々なモデルが載っておりまして、それこそ商品名「トオル」とか「ヒロシ」みたいな名前の物から黒龍みたいな感じの商品が掲載されていました。

もうカタログを見るだけで「ワタリ42はヤバすぎるかなぁ...」とか一人でワクワクするのですよね、オッサンになり一周回って考えてみるとインターネット時代の今よりも選択肢が豊富にあった時代のように思っています。

硬派・軟派といった大分類

一言にボンタンや短ランといっても拘りがあります。

ボンタンで言えばドカンタイプやバナナタイプなどなど硬派・軟派に分かれた大分類があります。

それは上着にしても同じで長ラン、中ラン、短ラン...といった具合に自分の硬派や軟派スタイル(生き様)にあわせて大まかなスタイルを決めるのです。

例えば「俺はガチの硬派」なんて場合は長ランにスソがあまり絞っていないドカンタイプのボンタン、いやいや基本硬派なんだけど彼女とか欲しいし...なんて場合は上着は中ランで下はスソを絞ったタイプのボンタンにするなどなどです。

変形学生服を着るにあたってはこのような大まかな大分類を自分で設定しなければならないのも特徴のひとつ、ただ単に太いズボンを履けばよい...という話ではなく強いコダワリが存在していました。

様々なオプション

変形学生服には様々なオプションがありまして、お客(学生)が自分でカスタマイズするのも醍醐味の一つでした。

まずは大まかなスタイル、ワタリ幅とスソ幅とハイウエストの形をカタログや現物から選び、そこから「隠しポケット」「ツータック」「スリータック」「スソチャック」「ベルトループクロス」などなどを追加して自分だけのボンタンに仕上げるのです。

上着も同じ要領でオプションを追加してゆくのだけど上着に関しては見えない部分のオプションに拘るのが男児たるものでした。

簡単な部分でいえば裏ボタン、金属性の裏ボタンに変えたりチェーンで繋がっている裏ボタンに変えたりジョニーケイのブランドロゴが刻印された裏ボタンに変えたり...です。

さらにランクが高いオプションとなると裏地への刺繍... でも刺繍はそれなりの金額になるオプションだったので手を出す人は案外少なかったのではないかと思う。

ボンタンに短ラン・長ランといった上着を決めたあとは夏用の開襟シャツ、これもお洒落の一つなので手を抜くわけにはいきません。

つまり変形学生服でそれなりのスタイルに仕上げるにはけっこうお金がかかりました。
だからヤンキー不良映画にようにドロドロになったりビリビリになるような事は避けるのが基本です。

小物も合わせて

短ラン+ボンタンで一応は完成系になるのだけど持ち物もしっかりと揃えなければなりません。

制服のホコリや汚れを取る謎の平らなブラシ、髪型を整える金属製のブラシやクシ、ジッポーライター、もしもの時の為の三段ロッド...この辺のアイテムもきちっと揃えてスタイルが完成されます。

これらの細かいアイテムが例えばお母さんが持たせたような物だったりすと非常にダサイ、それだけは許されない世界です。

一人前の男を目指す

私の高校生時代は高校卒業と同時に働く人が沢山いました。

大学に進学出来るのは勉強したヤツってのが基本で受験戦争なんていわれた時代、予備校生とか浪人生ってのがそれなりに存在する状態。

そんな時代の大学にいかない高校生とは、高校の三年間の間に大人になる必要があったのです。

とくに大学に行けない高校生となれば自分で稼ぐ力を身に着ける、そして親の保護下から離れる....これを高校2年ぐらいからボンヤリと考え始めるのです。

これは「壊れかけのRADIO」の詩にあるように思春期に大人になる、変わる、一人前の男になる、彼女を作る、セックをする... といった高校時代における一つのテーマが確かに存在していました。

そのような一人前の男になるべくの一つとして変形学生服... 短ランやボンタンですね、これを親に買ってもらう、お小遣いで買うのはでなくバイトなり何なりで「自分の力で手に入れる」のがもの凄く大切なことでした。

高校生とはいっても一人前の大人のように自分で何でも揃える事はできない、でも衣食住の一つである「衣」の部分を自分の力で揃える意味はそれなりに大きいのです。

中には高校生なのにバイトをしまくって一人暮らしをするようなヤツもいまして、そんなヤツにはみんな憧れたもんです。

これは高校生が夢見る一人前の男の最高峰、実家があって一人暮らしをする必要が全くないのにヤルってのはかなりハードルが高くて

  • 親の説得

  • 自分で家賃と生活費を稼ぐ

未成年がこの二つをクリアするのは大変なこと、それをクリアした男は男から憧れられる高校生...という存在でした。

現在の高校生はブレザーばかり

一応昔の時代も短いブレザーとかボンタンスラックスとかの高校生はいました。

でもブレザーでそのような不良ファッションってやっぱり無理があったんですよね、多分当時ブレザーを着ていた高校生は学ランが羨ましくて仕方が無かったと思います。

んで今の時代...現在の高校生といえばブレザーでしょう、ネクタイをしてシャツを着てスラックスを着て...って事で見た目だけで言えば大人のスタイルと同じ。

少し前はブレザーで腰パンスタイルの高校生ってのが不良とかヤンキースタイルだった感じですね、でも短ラン+ボンタンのようなインパクトになるまで成長はしませんでした。

批判を浴びるかもしれないけど私はコレを少し残念に思っています。

何もかも厳しくなる日本

今の日本の教育を私のような世代のオッサンから見ると制服は勿論、何もかもが厳しい方向へ進んでいる、型にハメた大人になるようなスタイルに思えます。

しかしポリシー的には「個性を伸ばす教育」「個性を生かす教育」みたいな感じになっておりましてAO入試ってのもある....

どうもこの辺が上手くかみ合っていないような気がしてなりません。

真に個性を尊重する教育を目指すのであれば、それこそアメリカ的なスタイルをお手本にした方がよく思える。それこそ見た目は短ランボンタンでもいいし、もっと言えば何を着たってOKの方向.... 

しかしそれは許されない。

国が、社会が、学校が、先生が、親が、許さない。

つまり決められた枠組みの中で個性を出しなさい、伸ばしなさい....みたいに感じてしまう。

こんな事を考えると、かつての短ランや長ランにボンタン、土曜日も学校ある時代のほうが個性を伸ばせる学生生活だったのではないか?

そんな風に思うところがあります。

この辺は教師を長年やってきた先生の見解を聞いてみたい。
もちろん建前ではなく本音の意見で。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。

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