2021.3.4

「本当につらかった体験は話せるようになるまで時間がかかる」という一文を見て、それまで戦争体験者について語るときに使われていたこのフレーズが、はじめて自分のものとして胸に飛びこんできたのであった。友人のかほも「負った傷が深いほど癒すのに時間がかかる」ということを言っていたし、これまで何度も理解したつもりではいたけど自分の場合もそうであって、しかも思っていたよりずっとずっと長い時間がかかっていたようだった。

今朝、7年近く通っていた英会話教室の夢をみた。あんなに長く通っていたのに、思い出すのは久々だった。行きも帰りも伯母が一緒だったことも、ほんとうに久しぶりに思い出した。

今、私は小学2年生の女の子の家庭教師をしていて、彼女の親が忙しく働いていて留守がちのため、勉強以外のこともよく見るようになった。知的好奇心の強い子で、Eテレや「鬼滅の刃」を見てはさまざまなことを吸収しているのがおもしろく、勝手に本や漫画をあたえている。彼女に触れるたび、私もこのように育ったなあと思う。私が少しでも興味を持ったことがらについて、伯母はいつでも本をすぐにあたえてくれた。私のほとんどはその本たちでできている。(実際、家庭教師どころか塾に行くこともほとんどなく、学年でいちばん成績がよかった。)

私にとって、子どもたちに触れることは、伯母の足跡をたどることなのだと思う。子どもが大好きで、かつ、子どもに好かれる人だった。生きていたら、きっとこのように子どもに接していただろうなと思うことを辿るようにしている。それが今の私にとって、自分自身を癒すことでもあるのかもしれないと考えるようになった。

伯母を亡くして7年、思い出すことすら”できなかった”ことが、少しずつ、山に湧き出る水のように、頭の中にもどってきた。すべての記憶は自分の中にあって、その扉が閉まっているか開けられるかどうか、なのだろう、思い出は。もう少しだけ、このようにして生きようと思う。

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