2020.4.22

わからないことばかりで流されやすいそんな愚かな私たちを、とてつもなく大きくおおらかなものが、祖父母のいた頃と変わらずに庭の木陰からそっと見ていたと思う。それがいいものなのか悪いものなのか私にはほんとうのところわからない。ただ、人間というものを長い間ずっと見ている目みたいなものなのだと思った。

癒しの豆スープ -よしもとばなな『さきちゃんたちの夜』


かたくなだとか、こだわりが強いだとか、そういうことを言われ続けてきた。去年の6月だったか、友だちに「そのままの性格なら孤独死する」とずばりと言われてから、私は自分の性格をそうとう見直したものだった。自分が描くストーリー通りに人生はうごかない、そのことにも気付き始めていた。
「あなたは何を言っても『でも』『だって』が多いから、誰もあなたにアドバイスしなくなるよ」と別の友だちが言った。そんなプライドの高いやつになっていたのか私は!さいわい、そのアドバイスを受け入れる素直さはまだ残っていたため、私は「でも」「だって」を言わないように気を張るようにした。長く、甘えた関係性の中でほど言いがちになっていた、呪いの言葉だった。
祖母を亡くし、大きな転機をむかえたこともあって、誘いにはすべて乗っかってみるようになった。自分には向いてないだろう、とか、自分はこんなことしなかった、とかを一旦取り払おうと思った。家庭教師のバイトを始めて、行ったことのない土地に行った。髪を伸ばして、似合わないと決めつけていたブランドの服を着るようになった。

秋に北海道に行って、花歩が「今のあなたが読むべきな気がする」と言って一冊の本をくれた。そういうふうに本をもらうことなんてなかったから、これはほんとうに読むべきものなんだろうなと直感して、すぐ読んだ。びっくりするほど、今の自分がずっと考えてきたことを鮮明に言語化して、解像度を高くした文章ばかりだった。それからよしもとばななの本を読むようになった。よしもとばななの著書には、自分が人生の中で薄々気付きながらも、どうなんだろう、こんなこと思うのは自分だけだろう、と勝手に自己完結させていたことがたくさん書かれていた。自分の感覚に自信をもつきっかけとなっていった。

11月ごろ、母校から講演の誘いをうけて、打ち合わせを重ねていたときだった。母校で働く同級生が、「なんか、よい流れの中にいるって感じの顔をしている」と言う。彼女は小学校のときから、私をはっとさせることを言うものだから、その一言にもとても意味があるような気がして、そしてうれしかった。はっきりと「よい流れ」の渦中とはいえないような日々だったが、それから私は確かな「よい流れ」の中に入ってゆく。

12月、家庭教師の仕事で訪れたある家の12歳の女の子に、「ひとめ見たときから、この人はふつうじゃない仕事をしてる。仲良くなるって思ってた」と初対面で言われた。私自身も、その子の中に自分を見ていた。なぜ出会ってなかったんだろうと不思議になるくらいの引き合わせだった。彼女と出会って、彼女に勉強や絵を教えることが、私の中のなにかを確実に修復させていた。一緒に笑っておいしいものを食べるうち、心がふくらんであったかくなっていくのがわかった。こんな出会いがこの歳でもまだまだあるんだなあと思った。

3月、長い付き合いの友だちが「どうしてもあなたに会わせたい人がいる。なんかわからないけどふたりは絶対合うと思う」と言って、ひとりの男性を連れてきた。その友だちとは8年の付き合いになるけれど、そういうことを言うのを見るのは初めてでとても珍しいことだったので、よっぽどのことなのだろうと予感した。話を聞くうち、会う前から、私はその人のことを好きになるだろうと思ったし、向こうも私を好きになるだろうと思っていた。そして結果その通りになった。

それでも私はなにも不思議に思わなかったのは、去年の秋からの流れがあったからなんだと思う。北海道に行って、花歩と長い時間を過ごして、今まで見えていたもののもう一段階別のものが少し見えるようになった気がしていて、でもそれはその前から外部のものを受け入れる覚悟ができていたからなんだろう。なんだかよくわからないがとてつもなく大きいものの存在を感じて、それに神と名付けたり運命と呼んだりなんかして、腹の底から湧き上がるエネルギーを感謝と名付けたものに変えて、そういうふうに人間はずっと生きてきたのかもしれない。いや、あんまり主語を大きくしてはいけないな。とりあえず私は今そうやって生きています。

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