2020.5.6

光を通すカーテンが朝日を部屋にもたらすころ、自然と目がさめて、スマホで時刻を確認するもまだ午前7時。トイレに行くか水を飲むかしてまた眠りにつく。夢をみて目がさめると次は午前9時、起きたよと恋人に連絡を入れてまた夢の中へ、そうして起きると11時過ぎ。やたら鮮やかな夢の余韻を残しつつ枕元のニンテンドースイッチに手をやり『どうぶつの森』に励み、とうとうベッドから這い出すのは午後を過ぎたころである。
自分とお母さんのぶんの朝昼兼用のごはんを作って食べ、洗濯と軽い掃除をし、それぞれの仕事へ。再放送のテレビドラマを観て感動し、晩御飯に思いを馳せるとすでに日は傾いている。ふたりで日課の体操をしたあと夜のテレビ番組をチェックしながら私は晩ごはんの支度をし、テレビを観てガハハと笑いながら食べるとだいたい20時ごろ。お茶を入れたり甘いものを食べたりしているとあっという間に夜は更け、恋人に電話をしてそのまま眠る。
そんな日々である。


かんたんに「自己肯定感」という言葉で片付けることが増えた昨今だけれど、その5文字に収まりきらない、自分を認めるということについて、いかに多くの人が迷っていることか。自分の幸せは、誰かの言いなりになって得られるものではないし、誰かと比べて手に入れられるものでもない。そして、無条件に幸せを得ることは怠惰でも罪でもない。
そのことに気づくまでに、私自身とても長い時間がかかった気がしている。

家庭教師の仕事で訪問した先にて、今でも引っかかっている出来事がある。
依頼してきたのは中学受験を控えるお子さんのいるご家庭で、その地域の公立中学校の目の前に家を構えていた。お子さんはひとりっ子、母親はおとなしく、父親が引っ切りなしに朗々とお子さんの学習状況と自分の考えについて伝えてくれたのだった。
とにかくいい学校に入れさせたい、その気持ちの強い親御さんだなと思ったが、それはまあこの仕事をしているとみんなそうであったのでさして驚かなかったが、私が耳をうたがったのは以下の言葉だった。
「目の前に公立の中学がありますでしょう、受験に失敗したらそこに行くことになる。そうしたら我が子は近所の笑い者だ。恥ずかしいですよ。それをこの子はわかってるのか」
それは、私がいるからじゃない。普段からずっと言って聞かせているような口ぶりだった。まだ感性のやわらかい子どもに日常的にそのような言葉を浴びせていたら、どんな大人になるだろう。この親御さんは、そこまで考えているのだろうか。それとも、すべて考慮したうえで、周りを見下して上へのし上がる道しか子どもに残していないのか。
私も仕事だから、そこに対して反論はしなかったし、うんうんと聞いてはいたけれど、肝心の子どもはひとことも発さないまま。「憧れの中学に行きたい」と言葉にしていたが、その中に自分の意志はどれだけ含まれているのか。
気持ちがわかるぶん、せつなかった。

小さいころ、ファッション雑誌「ピチレモン」を読みたいから図書館に行きたい、と伯母に言ったとき、路上だったにも関わらず怒鳴られた記憶がある。母がおしゃれ好きの勉強嫌いだったぶん、私にはそう育ってほしくなかったのだろうか。口癖は「まず勉強」だった。高校生になって、「高校生のためのファッションデザインコンテスト」に応募したいと言ったときも、泣き喚いて怒り狂ったのを覚えている。漫画の絵については怒らないのに、同じように絵を描いて封筒で送るだけの、何がそんなにだめなのかわからなかった。翌朝、私も泣きながらごめんなさい、と謝った。まずは勉強で誰よりも上にならないと、そういうことはしてはいけないのだなと思った。伯母は専門学校生のことなどを馬鹿にしているふしもあった。恋愛についても同じような扱いだった。そこまで思わせるものはなんだったのか、今ではもう確かめるすべがない。
地域で一番の大学に入ったあと、私はやっと解放されて派手な色に髪を染めて、服飾系サークルに加入した。伯母はそのときも、「あなたはそこらへんの子とは違って、頭がよくておしゃれなんだからすごい」と褒めていた。しかし、そのサークルには、全く同じ考えに縛られた学生たちでいっぱいだったのだ。
彼らはおそろしく他大生を見下していた。「勉強ができて、見た目も麗しい自分たちこそが最上だ」と、暗黙の共通項のようにひとしい思想がそこにはあった。今思えば鏡でもあったのだろうけど、そのときに私は、その考えは違う、とはっきりとわかり始めていた。
誰かを見下して、自分の地位をたしかめて、それで手に入れられる幸せなんか幸せじゃなくてただの虚栄心だ。それはゆくゆく自分を一番苦しめることになる。誰かを下げてでしか手に入れられないような価値しか残らなかった大人が、それを守ろうとするためにどれだけ醜い行動を取るか、この数年嫌と言うほど見てきた。

私は同時に、塾講師のアルバイトを始めた。そこには学校の勉強についていけない中学生たちがたくさんいて、彼らと話すことは、なによりのカルチャーショックだった。だって彼らは、テストで10点しか取れなくても、屈託なく笑っているのだ。それの何が悪いの、と言わんばかりに、親に怒られた〜さいあく〜と笑い、好きな服を着て好きな人の話をし、自分が何をすれば楽しいかを知っていて、そこに向かって一直線。衝撃だった。勉強ができなくても許される子どもがいるんだということは、私の価値観をガラリと変えてしまった。

今も考える。あの家の子どもは、部屋の窓から見える中学生たちを見下ろしながら、「彼らは恥ずかしい人間だ」と思って過ごすのだろうか。もしそうやって育ったとしたら、その価値観が変わるのはいつになるんだろう。それとも、変わらないまま大人になるのか。それとも私のように、そう言って聞かせてきた親を早々と亡くしたりもするかもしれない。どうなるかは誰にもわからないけれど、あの子は確かにかつての私だった。だからどうしようもなく気になってしまった。どんな大人になるんだろう、君は。

勉強ができない、品行もよろしくない、それでも愛されて生きてきた、そんな人が私にはまぶしくて、大好きだ。彼らのそばにいるとほっとする。何もしなくても生きてていいんだと思う。気づいたら何かに追い立てられるように忙しくしてしまう私を見て、「ほどほどにして、休みなよ」と言ってくれる人たちを、私は手放したくないと思う。今、かつての自分なら許せなかったであろう過ごし方、そうでありながら自分がずっと心のどこかで望んでいた暮らしができているのは彼らのおかげだとさえ思う。私は彼らに救われたのだ。

そばにいてくれてありがとう。早くあなたの笑顔を見たい。



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