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城、私の兵隊たち

2023/5/22

自分の部屋がすきだ。すごくすき。部屋に入った瞬間、あぁすきと思う。飾っている小物とかを見てまた、あぁすきと思う。
いちばんは、目覚めてから何十分も経つのにうだうだしている布団の中で思う。カーテンから漏れ出る光が明るい。寝ているので、立っている時とは違う角度で室内の家具たちと目が合う。妙に立体的に見える。
この部屋に越してきた時、まだベッドのない床に布団を敷いて、向かいの壁沿いに並んだ机や本棚を眺めて、ありがとなぁきみたちは、こんなところまでついてきてくれて、とぼんやり思った。その頃私はとても疲れていたから、物に話しかけたくなるくらいどうかしてるのかなぁと眠い頭で考えたけど、平穏で快活な今でもたまに思う。物に対する、この信頼感。なんというか彼らは、そう、揺るぎないのだ。

冷蔵庫に恋する女の子の劇を創ったことがある。私が感じる家具への愛着はあれと似たものかと検討したけど、これはきっと決定的に違うとわかった。
私はこの部屋を城だと思う。引越してもなお従順について来てくれる家具たちは私の兵隊で、先月買った寝心地の良いベッドは新しく雇った有能な執事。
あたりまえだけど私の部屋にある物は私が捨てるまで私から離れていかないし、捨てる時だってだれにもなにも申し訳なく思わなくていい。それは彼らが、私の所有物だから。
冷蔵庫に恋する少女は冷蔵庫を所有していない。そもそもその冷蔵庫は友人宅の物なのだけど、それ以上に、彼女にとっては世界のあらゆる人や物が、生き物であるとないとにかかわらず、一様に他者として存在している。そしてたぶん、彼女にとって彼女自身も、よそよそしい他者として所在なくそこに存在している。彼女は彼女の母親の所有物だったから。
(追記。庇護されるべき対象として「女子供」という言葉がある。「女の子」は「女」で「子供」なので最も庇護=所有=支配の対象になりやすい。支配的な親子関係を考えた時に母娘関係が真っ先に想像されるのは私が女であるからなのか。それもあるけど、たぶんそれだけじゃなくて、子育てを担ってきた父親よりも母親のほうが圧倒的に数が多くて、母親にとって息子はある程度他者だけど、娘は自分の分身または所有物だと思いやすいのかなと思った。)

城の話をちょっと広げる。最近ひきこもりの役をした。セリフ上では眠り姫にも触れたけど、この劇を観てラプンツェルを思うひとがいた。どっちでもいいけど、アーシュラ・K・ル=グウィンが『いまファンタジーにできること』で眠り姫の話をしているからそれを引く。

 それは秘密の花園。それはエデンの園。日の光に照らされて、まったく安全にいられるという夢。それは変化のない王国。
 子ども時代。そのとおり。純潔、処女性、そのとおり。ちらりと見える思春期——十二歳ないし十五歳の少女の心と頭に隠れている場所。その場所で、女の子はひとりきりでいる。ひとりだけでいて、満ち足りている。そして、誰も彼女を知らない。彼女は考えている。わたしを起こさないで。わたしを知らないでいて。ほうっておいて。
(中略)
少なくとも彼女はしばらくの間、ひとりでいた。自分のものである館の中で、沈黙の庭で。そういう場所があることさえ、ついぞ知らない美女が多すぎる。(pp. 28-29)

Ursula K. Le Guin,2009,Cheek by Jowl:Seattle,Aqueduct Press(谷垣暁美訳,河出書房.)

完全に安心して「自分のものである」と言えるものを、私たちはいくら持っているだろう。自由に使える年500ポンドと、鍵のついた部屋!(私は未だにヴァージニア・ウルフを読んでない。読んだほうがいい。一刻も早く。)引越して、働きはじめて、お金を稼いで、私は急に東京に馴染んだ。自立したと威張るにはまだ早いのは承知だし、前借りしたものが山ほどあっての今だけど、「自分のものである」ものを、私ははじめて手にした気がする。それまでは、たとえば私の身体は、精神は、完全に私のものであったか?

雪山を裂いて列車がゆくように
わたしがわたしの王であること

安田茜『結晶質』,2023, 書肆侃侃房.

安田茜『結晶質』にある最初の歌。この上なく清潔で、力強くて、純度が高い。ここを目指したいと思った。「わたしがわたしの王であること」。支配からの脱却、そして主権の回復は、最近noteに書いた島本理生『夏の裁断』においても、サファリ・P『透き間』においても重要なテーマだと考えた。ひきこもりの劇においては、必要なのは自分の停滞を受け容れるということだった。『透き間』ではおそらく自分のリズムを取り戻すこと、そして最近の私にとっては自分のために語ること、だ。

そのためには自由に使える年500ポンドと、鍵のついた部屋が要る。完全に安全な、「自分のものである」空間。働きはじめて良かったと、心から思う。
そういえば最近、強姦される夢を見なくなった。今思えば単純に、1階でひとり暮らしは無意識で怖かったんじゃないかと思う。今の部屋は階が上がって眺めが良いから気分も良い。
垂らした髪の毛を伝って登ってくる王子なんて冷静に考えてやばすぎるので、私は私の足で外に出る。私はこの城の、姫ではなくて王だから。

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