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遺書

私はこんな所で死ぬ人間ではありません。
もっとやらなければいけないことがあるるのです。芸人ギャランドゥ小田を命名して2年と3ヶ月、思えば25歳か26歳だったか忘れましたが当時も遺書を書き残し『エンターテイメントに恩返しがしたかった』とその時、初めて自分の気持ちに気付きました。

運良く周りに助けられ、自分の人柄を培ったのは子どもの時に見たテレビであり、周りのお笑いが好きな友達でした。それは明らかに、憧れを抱いていた芸人さんと言う存在に救われて、それに対して恩返しをしたいと言うことでした。

ただそんな想いに気付いた反面、自分には何もないという呪縛、思い込みのせいで自身を責め続けた過去があり、その想いは浮き彫りになるばかりでした。


そんな苦しい日々に終止符を打ったのが、ギャランドゥ小田と言うもう一人の自分です。
体毛が濃いと言うコンプレックスが、自分には何もないと責めるコンプレックスの日々をギャランドゥ小田は見事に救ってくれました。


紛れもなく『この世は辛く、悲しいことが多いので地獄である』と私は思っており、この認識は事実で変えようのないことですが、『生を受け名前を授かった一人の人間がいつも通りの日常を過ごす、それは奇跡である』とも思っておりこれもまた、変えようのない事実です。


そんなシャバと言う地獄を生き抜く奇跡の中で、『救われる』と言う本質は『悲しみから解き放たれる事』にありこれ以上に美しいことはないと思っています。


小田純平を救ってくれたギャランドゥ小田は私にとって世界で一番カッコいい芸人です。
もう一つの人格という位置付けにギャランドゥ小田を置いた時、彼がどう思うかは分かりませんが、私の様に責め続ける方をギャランドゥ小田なら救ってくれるんじゃないかと思っています。


世界で一番面白い芸人になれる自信はないですが、世界で一番カッコいい芸人になれる自信はあります。それはその瞬間を生き抜き、悲しみを解き放つ美しさを理解した芸人だからです。
美学に生きることができる芸人だからこそ、今の時代に伝えることがあるはずです。

「生きるのが辛いやつ、死にたいやつ。
その瞬間を大事にしてるやつの、エゴをなめんなよ。俺が救ってやるから今に見てろよ馬鹿野郎。
って左乳毛が言うてます。」          ギャランドゥ小田

最後に私を支えてくれた母さん、家族、友達、同期を筆頭に芸人の仲間達、作家の芝山さん、本当に感謝しています。またこの恩を、ギャランドゥ小田の地獄で奇跡的に生き抜く姿から感じ取って力にしてもらえると幸いです。

2021.4.22 小田純平

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