価値観と○○の話
アメブロから見に来てくれたみなさんありがとうございます。
ここでブログを見つけてみてくれた人もありがとうございます。
私が海外に住んでいた時にその国の人達やいろんな国の人々の話を聞いていると、
海外の人々は個人の価値観をかなり尊重しますし、しなければならない社会の雰囲気があります。
実際学校でも個人の価値観を尊重するような教育を受けますし、ちゃんと教育を受けた人々はちゃんと個人の価値観を尊重するようにふるまいます。
日本ではどうでしょうか?
私は個人の価値観を尊重するような教育は学校では受けませんでした。それよりも全体主義で、「みんなそうしているからそうしろ」というような全体主義の一くくりにするような価値観を教育されていました。
全体の中で自分はどう振舞うか、そのような自分を犠牲にして全体を尊重するような教育です。
これとギター演奏とどう関係があるの?
と思うでしょうね。
大ありです。
大人になると日本人はリンゴやみかんを果物と一くくりにするような物の見方をする様になります。
なぜなら、それ以上に物事を管理するという事を大人になるとさせられるようになるからです。
この一くくりにするという行為をどんどん突き詰めていくと、物事は存在するかしないか?
それだけのコンピュータのようなデジタルな感覚に陥ってしまいます。
それが悪いという事ではありません。それも重要な感覚ですしそれをなくしては根本的な物事の原理にたどり着くことは出来ないからです。
ここから先は
729字
¥ 600
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?