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Fのコードが弾けた日
生まれて初めてギターを弾いたのは、10歳の頃。
弾いたというよりは「触った」が正しい。
従兄が持っていたフォークギターを触った。
左手で弦を適当に押さえ、右手の親指を上下に動かすと『ボロギュ~ン』てな感じで音がなった。
それだけで楽しかった。
16歳の時、貯金を叩いてモーリスのフォークギターを買った。5万円くらいだった。
自分のギターを買って帰宅したオレの顔を見た親父が『あんなに嬉しそうな顔、初めて見た』と言っていたほど、オレは嬉しかったのだ。
楽器店で初心者向けのギター教本も買い、独学で練習を始めた。
弾ける曲を増やしたかったから、コードの押さえ方を覚え、ひたすら弾く練習。
『F のコードをきれいに鳴らすことができるかが、ギターを弾けるようになるかどうかの分かれ道』と言われたことを思い出した。
まったくその通りで、他のコード、例えばC やG のコードはわりと短時間できれいに鳴らすことができたが、F は難しい。
押さえることはできても、10歳の時の『ボロギュ~ン』てな鳴り方。
それでも、指先の痛みを我慢して1時間くらいF のコードを鳴らし続けたら、何となくきれいな音になってきたように感じた。
『オレ、ギター弾けるかもしれない』
四六時中ギターのことを考え、ギターから離れている時は左手をコードを押さえる形にしてコードチェンジの練習。授業中もバレないようにやってた。
我ながら一生懸命、一途だった。
左手の指先に水ぶくれができて、痛い。
でも、我慢して練習。
そのうちに指先の水ぶくれは破れ、皮膚が硬くなってきた。
そしてついに、オレはF のコードをよどみなく鳴らせるようになったのだ。
『やった、弾けた‥‥』
オレは自分の部屋で小さく呟いた。
Fのコードが弾けたことは、人生で味わった感動のひとつと言ってもいいと思う。
ギターを抱えて練習している時間は、何にも変えられない自分だけの幸せな時間だった、といま思う。
実は、オレはギターが上手い人になりたいというより、ギターの力を借りて自分の曲を作れる人になりたいと思っていた。
あれから月日は流れた…。
決して嫌いになった訳じゃないが、ギターと離れた時期があった。
『大人』として、いろいろなことと向き合い、時には闘わなければならなかった時期と重なる。
最近、ウクレレを始めた。
ウクレレも完全に我流。ウクレレの、何ともおおらかで優しい感じの音色が好きだ。
ウクレレの練習を始めたら、ギターと出会った16歳のころが鮮やかに蘇った。オレの中にはまだ、16歳のオレがいたのだ。
技術よりも『好き』という気持ちを大切に、とらわれることなく自由にやっていきたい。
いくつになっても『オレはオレ』。
いまさら変えられないし、変えてたまるかよ。
それでいい。
忘れていただけで、オレの魂は変わっちゃいないと確信した。
ギターやウクレレを弾きながら、気分よくメロディをつなげて曲を作り、イメージに合う言葉を探して歌にする。人生最高に楽しい時間。
オレはいま、人生の折り返し地点あたりに立って
いるようだ。
Fのコードが弾けたあの日。
16歳のオレに、ギターが教えてくれたのは『自分らしい人生の楽しみ方』だと気づいた。
ありがとうギター、そしてウクレレ。
これからも、よろしく。
『君の好きなことを見つけて、それをしたらいいんだよ。好きなことをしないなんて、人生の浪費だよ』
ビリー•ジョエル
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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