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目の前の「目に見えないもの」を見出す

「香具山スクール」という名のプロジェクトを進めている。

長男を通わせている公立保育所はつねに「ゼロ歳児募集停止」の危機にある。保護者会で保育所存続を願う署名活動などを行っていたが、保育行政の側が我々の気持ちを理解できないように、こちらも行政の「立場」なるものは理解できない。継続を願いつつも、「いずれは保育所がなくなる」という諦観はつきまとう。

そして保育・教育事情を巡る悩みは子供が何歳になっても尽きることはない。居住区が小学校の選択を左右し、仮に私学を選んだとしても正解は見通せない。

ここで考えを展開させる。親が子供に何かを与えるのではなく、必要なのは「子供を主語にすること」である。そのときに「子供が最低限の条件から未知を切り開く能力」というゴールが見えてくる。

この能力を開発するために、何ができるか。保育所存続の署名活動を行う傍ら、こんな問いを抱き続けていた。「香具山スクール」はその一つの答えだ。

香具山は飛鳥を象徴する。いつからか、飛鳥・橿原という地に強く惹きつけられてきた。堀辰雄『大和路・信濃路』で言及される飛鳥は、古代の文化を現在に繋ぐ地であると解釈している。古墳や遺跡を取り囲んだまま、街が当たり前のように存在している。史跡を「文化」として生活から切り離し、「名詞化」してしまうことは容易い。だが飛鳥では足下の文化が現在の生活と一体化している。歴史は現在から切り離されたパッケージとして存在するのではなく、今のこの瞬間と古代を繋ぐ「糸」のようなものであろう。

この飛鳥・橿原という地に子供を連れて行き、古代と現代の重層的な文化を体験させることで、「目の前の『目に見えないもの』を見出す」という体験を重ねていく——そんな思いから「香具山スクール」というプロジェクトをスタートさせた。

今は一つのイベントを行った段階に過ぎない。廃園計画の対象となる保育所に通う子供たちを連れて、橿原の文化財と古墳を巡るワークを行った。「歴史に憩う橿原市博物館」にワークショップを依頼し、親子で文化財に触れ、古墳を歩く。古墳の影にバッタが飛び、子供たちは古代の遺跡の上で当たり前のように虫を追いかける。千数百年前の出土品を観察し、粘土でその形を再現していく。古代と現代が子供たちの中で複雑に交差していく——この企画はまだ始まったばかりだ。だがこちらが伝えたいこと、つまり「目の前の『目に見えないもの』を見出す」という目的は、少しずつ進んでいる。

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