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2023.05.10 ヘッドホンをして街歩く

仕事のお昼にコンビニで弁当を買う。通い慣れたコンビニで、店員さんもだいたい分かる。自分のポリシーとして目を見て感謝を伝えるようにしているのだけれどそれが見事におばさんパートの人に刺さっていて、お気に入りの若者的な存在になっている。とてもありがたいし嬉しいけど、いつも最後にかけてくれる「どうぞお気をつけてお過ごしくださいませ」という言葉が気になる。何を気をつけるのだろうか、健康か? 確かにコンビニに来まくっている若者がいたら、お気をつけて過ごしてほしいのも分からんではない。

愛知在住の同い年のライターと話す。編集やりたいから東京に出てくることも考えているとのこと。とてもいいと思うし、出てきたら楽しいことになるだろうなと思いつつ、就職で出てきてよかったな〜とは少し思った。楽しく過ごしてます、いやこれは本当に。

ヘッドホンをして街を歩くと、明確に話しかけられなくなる。別に世間話をするとかじゃないけど、工事中の場所で誘導してくれる人と目が合わなくなった。そりゃ聞いてないことが目で見て分かる人に声かけはわざわざしないよな。別に声をかけてほしいわけじゃなくて(というかその人員無駄じゃない? と思うことの方が多い)、挨拶とかのコミュニケーションは、無意識のうちに相手に同じ自分と同じテンションを求めているんだということが分かった。同じテンションで返ってこないことが分かれば出力を抑える方で調整する。人生の至る所で「挨拶を強要するおじさん」に出会うけれど、あの人たちがやけに挨拶だけ怒りっぽいことの理由がわかった気がした。

早くゼルダがやりたい。どれくらいやりたいかと言えば、今やりたいことは全くゼルダだけだ。

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