上京は死ね

電車から見える景色が埼玉県のものなのか、はたまた兵庫県のものなのか、分かるはずもないのに何故か地元のものだとわかる気がする。

田んぼや遠くの山、低い建物に廃れた緑。今までの自分にとっては馴染みのあったものが、上京してからは素直に寄り添えなくなった。

東京でよくわからない営業の仕事を1ヶ月程やった。オフィスは新宿だが、実際に働くのは埼玉県だった。

先行きも見えないのに現場は若者が多くて、金持ちに成り上がる”システム”を利用して、みんな営業活動を頑張っていた。

その仕事は将来性があったのかもしれないが、結局辞めて今はパチンコ屋で働いている。

特に説明はせずに1人で上京した身で、その理由の一つに彼女との将来性はあるが、果たしてこんな歳で1人上京しフリーターをやっていることに意味なんかあるのだろうか。

東京は本当に都会で、田舎育ちの自分とは価値観もノリも言葉も違う。人の数も違えば仕事の数も違う。
でも少し都会から離れると、そこには普通の人間が生きていて、気を抜けば地元のような田舎も存在する。

今見慣れた田舎の景色を車窓から眺めて、これが果たして東京で見た景色と何が違うのかがよくわからない。
もちろん建物の数や田んぼの大きさは違うが、本質的には何も違わないのかもしれない。

じゃあ上京とは一体なんなのか。もし東京と地元が本質的に同じならば、状況に対するこのとてつもない違和感はなんなのか。

自分が人生で何をしたいのか、今どこにいてこの先どこに向かうのか。
真っ暗な宇宙の中で時間だけが過ぎて、果たして前に進んでいるのだろうか。

電車のアナウンスで聞き慣れた駅名が流れる。実家はもう近い。大嫌いな関東弁としばしのお別れ。今は関西弁もとい播州弁にさらされて心を休めるとしよう。

今年一年が終わる。あっという間の一年。俺にとっては数々のドラマ、でもそれは自己満足で終わっていないか?
年が変わる。一年後の俺は何か変わっているのだろうか。

良いお年を。

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