今ある幸せに気づくのは難しい

幸せは掴むものじゃなくて気づくものだとはよく言うが、頭で分かっていても誰もが今すぐ幸せになれるわけじゃない。

生活水準は簡単に下げられないし、得たものより失ったものの方が記憶に残りやすい人間の脳の仕組みから、幸せになるのがどれだけ難しいことなのかは推して図るべきだろう。

それはもちろん、戦争の時に比べればよっぽどマシな生活だろう。アフリカの人と比べれば豊かな生活だろう。でもそうじゃない。
昔はこうだったああだったと言う人の、言っている内容それ自体は事実として受け入れるが、だからと言って「そんな時代に比べれば、そんな人と比べれば自分は幸せなんだなあ」なんて思う必要があるか?
それはつまり、下を見て生きろってことだ。

そりゃあ下を見ることも大事さ、上ばかり見てれ足元につまずき、足元ばかり見ていては周りにあるチャンスを逃す。これは現実世界でも生き方でも同じことだ。

ただ、自分が幸せになるために他人の不幸をわざわざ持ち出すのはおかしくないか?

そこで自分自身を振り返ってみた。
大学受験期は本当に大変で、二次試験が終わってから好きな曲が聴けること、昼ドラをぼーっと見ていられることにどれほど喜びと幸福を感じたか。

俺がまだ何者でもなかった時、自分を表現する術として楽器を演奏したかった。現在それは叶い、ドラムは人並み以上に叩ける。

童貞だったあの頃、エッチをするまでは、性の悦びを知るまでは死ねないと本気で思っていた。人生が絶望的だったあの日に比べれば、彼女がいる今は幸せなことだろう。

思い出せ、きっと数を上げればいとまが無いほどの幸せを俺たちは手に入れてきた。
なのにどうして気付けない、俺たちはすでに幸せだと言うことに。

幸せになることは簡単だ。自分が歩いてきた道を振り返り、今あることものに感謝しろ。

お金がなかったあの日、寝る間がなかったあの日、居場所がなかったあの日、あの日と比べれば随分と俺たちは幸せになった。そして、きっと10年後20年後のお前は、今お前と比べてまたさらに幸せになっているよ。

比べるのは過去の自分だけでいい。

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