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「ラーメン二郎という奇跡」山田拓美総帥は1000歳まで生きるかも。

 今年一番驚いたテレビ番組!!!

絶大な人気を誇りながらも、かたくなに取材拒否を貫いてきたラーメン店「ラーメン二郎」と、創業者である山田拓美氏の実像に迫るドキュメンタリーをお届けする!

『とれたてフジテレビ』より

 取材お断りの『ラーメン二郎』の総帥である山田拓美さんのドキュメンタリーなんて、激アツで胸アツじゃないですか!
 「ラーメン二郎という奇跡 ~総帥・山田拓美の"遺言"~」というタイトルだけで泣けてきます。

今回、「ラーメン二郎」の創業者であり、“総帥”という呼び名でファンからも愛され続けている山田拓美氏が、2019年2月に慶應義塾大学から特選塾員に選任されたことを記念し、山田氏の人柄と功績を形に残すことを目的として、特別に番組が制作されることとなった。よって、「ラーメン二郎」は、今後も取材については従来通りお断りするという。

『とれたてフジテレビ』より

 ということなので、超〜貴重な奇跡的なドキュメンタリーということですね!

 今までに、三田の『ラーメン二郎』のドキュメント映像を見たのは、1992年放送の『素敵にドキュメント』という番組で司会の逸見政孝さんが行列にちゃんと並んで実食していたこの映像くらいでした。

 おやじさんが48歳の時で若い!
 おばちゃん(おやじさんの奥様)が一緒に働いているところも映っていてエモいです!
 1992年といえば、バブル景気の余韻が残っていた頃ですが、「ただのラーメン」(といってもかなりの量)が300円なんて、信じられない安さですね〜
 この時は、三田通りの拡張計画が実施されることになって店の立ち退きの話が出ていたので、それもあって取材を受けたのかもしれないですね。

1990年代に三田通りの拡幅計画が実施される見通しとなり、これによって二郎も影響を受けることが判明したため、山田は店を閉めることを考えた。しかし、常連客は店の継続を望み、地元慶應義塾大学の学生有志は当時改装が予定されていた慶應義塾大学西校舎学生食堂へ誘致の署名活動を1990年代前半に行ったが「学内の食堂に塾生以外の外部の客行列ができるのはまずい」など諸般の事情で実現に至らず、三田通りの店舗は1996年(平成8年)2月末に閉店した。同年6月から桜田通り沿い(慶應義塾大学正門近く)に移転し、営業を再開したのが現在の三田本店である。

『ウィキペディア』より

 ぼくが初めて『ラーメン二郎』の三田本店に行ったのは1982年の4月で、都立三田高校に入学してすぐのことでした。
 その当時、「ただのラーメン」は200円前後とかだったんじゃないかなぁ。お金のない腹ペコ高校生には、本当に神でした。

 その当時のことなど、以前にも note に書いているのでそちらも併せて読んでください。

 我が家の愛犬「二郎」は、『ラーメン二郎』目黒店の山手通り挟んで斜め前のペットショップ『KOJIMA』で出逢ったので、「二郎」と名付けたのですが、もしも『ラーメン次郎』だったら名前が「次郎」になっていたかもしれませんね(笑)。
 これも関係ないですが、ミシュラン三ツ星寿司の『すきやばし次郎』の店主の名前は、小野二郎さんなんですよね。このねじれも面白いです。


 話はドキュメンタリー「ラーメン二郎という奇跡 ~総帥・山田拓美の"遺言"~」に戻ります。

 インタビューの中で、山田拓美総帥が、ラーメン二郎インスパイア系のお店に対して良い印象をもっていない感が出ていました。というか、むしろ怒っていましたね。
 これからラーメン二郎インスパイア系を出店しようと思っている二郎愛がある店主は、二郎スタイルのラーメンで提供することを迷っちゃうだろうな。二郎愛があればあるほど。
 ただ、二郎愛なんてなくて儲けだけのためにインスパイア系の店を出す人は、悲しいことに、なんにも気にしないんだろうけど。


【おばちゃんのこと】

「ラーメン二郎という奇跡 ~総帥・山田拓美の"遺言"~」より

 番組の中でおやじさんの奥様のヤスコさん(三田高時代にぼくたちは親しみを込めて”おばちゃん”と呼んでいました)の一人語りのシーンがあるのですが、インタビュアーに『ラーメン二郎』を食べるのかを聞かれると、「支那そばみたいなのは食べるけど、ああいうラーメンは食べない」とハッキリ言っていて(笑)、確かにぼくらが高校生の時に三田の喫茶店でおばちゃんが娘さんとサンドイッチを食べているのを見かけたことがあって、その時も「私は、ああいうラーメンは食べられないから」と言っていたのを思い出しました。 
 インタビューの中で、かつておばちゃんがお店に立っていた時に、慶應大学の学生から「子どもは何人いるの?」と聞かれて、子どもは2人だけど、こういうことを聞かれるということは旦那が他の女性に子ども作っちゃったのかしら?…と疑心暗鬼になっていたら、「ぼくら慶應生は、みんなおばちゃんたちの子どもだよ!」と言ってくれて嬉しかった…と泣くのですが、それを見てぼくもジーンときちゃいました。 
 『ラーメン二郎』を愛する、慶應大生を中心とするお客さんたちも、本当に素敵なんですよね。


【息子のみきおさんのこと】

 番組の最後の方で、跡継ぎのことを聞かれておやじさんが、「息子に継がせるのかな〜」と囁くように言うシーンも良かった。

 三田本店で基本夜の部に作っている息子さんのみきおさんの二郎も2回ほど食べましたが、すごく美味しかった。
 顔もですけど、特に声がおやじさんにソックリなので、一瞬、おやじさんがいる?と錯覚するほど。

 この写真は、2015年にフォーリンデブはっしーと"あいのり"桃ちゃんと三田本店に行った時の写真で、カウンター内でちょっとお茶目に顔を傾けている白いTシャツの方がみきおさんです。

秋山具義 Facebookより

 2016年10月に、ぼくは慶應大学のOBでもないのに、慶應大学の日吉キャンパスで行われる「慶應連合三田会大会」「ラーメン二郎 スペシャルトークショー」を見に行きました。

 なんで見に行けたかと言うと、『ラーメン二郎』目黒店の若林克哉さんがぼくにこのイベントのためのTシャツのデザインを頼んでくれて、ジロリアンとしてはこの上ない名誉なことだったので、おやじさんがそのTシャツを着ているところをぜひ見たかったので、参加させてもらったのです。
 この下の写真でぼくが着ている「 I ニンニク JIRO 」と言うメッセージのTシャツがそれです。

 この流れで話すと、トップ画面の「ハイパーソウスイ」ステッカーは、後日三田店に行った時に、ぼくがTシャツをデザインしたと言うことを話したら、「そうか、そうか、デザインしてくれたのか」と山田拓美総帥自らがくれた宝物なんです。

 「慶應連合三田会大会」「ラーメン二郎 スペシャルトークショー」の最後に、サプライズでおやじさんとおばちゃんに息子のみきおさんからのお手紙が読まれました。

 この手紙の文章が、ユーモアがあって素敵すぎて、みきおさん文才あるな〜と感動したのですが、その時にスクリーンに映し出された愛のある手紙を最後に以下に記します。

幼少の頃より
「おまえは橋の下で拾って来た」
「カミさんと手をつないだだけなのに、
いつの間にかおまえはいた」等という
教育を徹底的に施されてきた結果、

慶應OBの方々に
「オヤジさんにそっくりだね」と、
お声掛け頂いた際に

「他人です」
「血はつながってません」と、
即答出来る様になりました。

三田本店の今後に関してですが、
そこにいるタクミ、ヤスコ共に、
生きながらにして神の域に達しており、
1000歳までは死なないですから、
二代目継承はないと思います。

しかしながら、ほんの少しだけ
可能性があるとすれば、
タクミがラーメンを作るのに飽きて
「おまえやれ」と言い出した時です。

そんな時が来たならば、
ドンブリを洗ったふりをして
次のラーメンを作ったり、
行列が2センチずれただけで
鬼の形相でしかりつけられるという
過酷な環境にもかかわらず、

こりずに通ってくださった頃と同様な、
生暖かい目で見守ってくださると
ありがたいです。

長くなりましたが、
今後も二郎グループをよろしくお願い致します。


平成28年10月 山田みきお


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